ゆとり教育

本当のゆとり教育とは子供が成長過程において 
時間にゆとりがあるのではなく、 
将来、頭脳に・心に人間としてゆとりを持てる 
ようになることではないでしょうか。 
 
確かに遺伝的なものがあるかもしれないけれど、 
それ以上に子供は取り巻く大人や環境によってどうにでも育っていくと思います。 
例えば、整理整頓の出来ない大人に育てられれば、 
片付いていない状況が普通で「片付ける」という 
行動を改めて学ばなければならない。 
整理整頓が当たり前で育った子供は、 
片付いている状態が普通だから改めて片付ける事を 
学ぶ必要も行動も最小限ですむことになります。 
私は片付けなさいと言っているし、 
整理整頓もするけれど子供はしないという方がいらっしゃるかもしれません。 
それは残念ながら整理整頓は当たり前であることを 
示していても子供に自身ですべきことという認識を持たせる事を怠り、 
自分で片付けたほうが手っ取り早いから「片付けなさい!」 
と叱りながらも手を出して子供より先に片付けているのではないでしょうか? 
どうすれば片付くのか?どの状態を片付いたと言うのか? 
その手間を省いているのではないでしょうか。 
現状片付いていれば良いのでなく、 
将来子供にとってどうあれば良いかを考えて育てるのが教育でしょう。 
 
幼年期から塾に通う方たちがいます。頭脳に早く色々な知識を詰め込む。 
知識を詰め込む自体は脳を刺激しているから良いとは思うのですが、 
暗記させることや反射神経的に出来ることを訓練するよりも、 
物事の考え方・取り組み方・ 何故そうなるのか 
もう一つ掘り下げて考えることの方が大事なのではないでしょうか? 
そういった方向で教育することで結果的に 
ゆとりを持てる人間に育てることができるのだと思います。 
 
例えばピアノの練習をする場合毎日15分すれば 
今週はとてもがんばって練習した、できるようになったと満足する生徒もいれば、 
今週は毎日30分しか練習できなかったと思う生徒もいます。 
練習内容も単にピアノの前に座り楽譜を見ているようで 
なんとなく弾いている生徒もいれば、 
レッスンで受けた注意を直そうとする生徒、 
直すためにはどんな練習をしたら良いかを考える生徒と色々です。 
でも、それぞれはそれぞれに練習をしたつもりでいます。 
練習時間は必要十分であれば問題ありません。 
 
なんとなく練習をしている生徒は、 
どれだけ練習してきて注意が直ってこないのですからなかなか曲が進みません。 
そして「やっても 上手にならない」と思うのです。 
当然、練習の仕方を指導したりしますが、 
漫然と弾いてくる生徒は中々上っ面の練習から抜けだせません。 
気長に生徒が目覚めてくれるようその時その時に応じて 
生徒に話をしていくのみです。 
真に気づいた時 グーッと伸びます。 
勉強もその時その時漫然と勉強時間を過ごさせるのでなく、 
取り組み方を指導する。 
自己満足のために練習をしていることを理解しているなら・・まあ良いでしょう。 
しかし、上達するためとなるとそうではいけません。 
漫然と練習していても効果は薄いのです。 
 
このことが分かっている教育者が少ないように思います。 
口が達者な子供もちょっと知識の多い子供も大人の目から見れば真っ白です。 
その子供が教育者・身近な大人の持っている 
間違った常識・練習方法に影響されると恐ろしいですね。 
自分の子供は自分たちで責任を持って生きさせていくだけでなく 
真に育てていくのを考えるべきだと思います。 
 
つまり、学校でのゆとり教育が言われますが、 
それぞれの家庭の方針が重要になってくるのだと思います。 
何を大切とするかがまずそれぞれの家庭で異なります。 
極端な話、学校の成績が良ければ最上の子供と考える方もおられます。 
私はそうと思いませんが・・・ 
 
勉強は自分を創るための食事と同じだと思います。 
口から入る食べ物は体を作り、学ぶことにより人間自体を創る。 
小学校の高学年や中学生になると 
「こんな勉強(科目) 私には必要ないのに」と言う子供がいます。 
そんな時、私はこういう風に答えます。 
「何をしたくなるか将来のことは未知でしょう。 
専門的なことでなく一般常識的なことが多いし、 
数学なんかも構成力を養う練習よ。 
自分の親・友人だけが今の 全てだろうけれど、 
色々な考えを持った人が多くいて、 
今のあなたなら「うそー」の言葉しか出てこないことも沢山あるはずよ。 
今は社会に出て社会で生活して いけるように準備をしてるんだよ」 
と言います。知識の引き出しを多く持ちなさいと私はよく言います。 
 
選択しなければならないとき A君は10センチの立方体の容量の知識しかなく、 
B君は100センチの立方体の容量の知識を持っている場合、 
A君にはB君の 選択が理解できないか、その選択に感銘を受けるでしょう。 
A君が1時間かかることをBの人は5分で出来るかもしれません。 
しかも1時間かけたA君よりも完 成度が高いこともあるかもしれません。 
また、例えば災害が起きた時に「可哀想」と思うだけの子もいれば、 
「もし自分の住んでいるところで起こったらどういう行動をすべきだろう」 
と考える子もいます。 
こういったことは日頃の習慣・経験に起因します。 
 
だから子供が知識・経験を増やすのは偉いのではなく、 
自分の人生を豊かに出来る可能性を増やせる状況を与えているんだよと教えるべきです。 
中々「そうかあ。感謝感謝。」と納得するお子さんはいらっしゃいませんが^^; 
 
子供のプラス面もマイナス面も育てている大人が本当は一番見えているはずです。 
子供に対し「もう!」と思うことが例えばあるなら、 
「もう!」と大人が思うことをどうすれば子供は治せるのだろうか 
を考えられるのも、一番身近にいる大人。 
そして、その子供に一番近いのが家庭。。その次に教師です。 
私は2番目に近い位置にいる責任ある大人として考えていかなければなりません。 
ゆとりのある多くの人たちが育ってこそ豊かな日本の将来があるのですから。