近頃、小学校に入るや否や学習塾に通う人が増えたように思います。
人間を形成するのは 体・心・知恵です。
体作りにしても年齢に応じた運動をしなければ、
ほとんどの人が支障をきたしてしまいます。
体づくりに関しては結果が目に見える状態で現れてきますので、
気が付きやり方を見直せます。
しかし・・・心と知恵は目に見えません。
知恵とはいったい何なんでしょう?学校・塾で学ぶ事柄は「知識」です。
世の中に出た時、それはその人の教養となります。
当然、教養は必要です。でも、それと同時に「知恵」も必要なのです。
生活の中で知恵をつけさせなくて、知識だけを詰め込んで・・・
果たしてそれをその子は使いこなせるのでしょうか?
学校で習う事は学校で習ってしまえば良いのです。
必ず100点に近い点でなくても、間違ったら間違ったままにしないで覚え直せば良い。
テストの前に覚えるか?テストの後で確認できるか?
の違いで覚えてしまえば大差はないと思います。
それより解らなければ帰って塾の先生なり、家庭教師が教えてくれる・・・
と言う気持ちを子供が持ってしまったら、
その子はそれ自体自分の時間を大切に使えない子になってしまっていると思いませんか?
これは何度も自分で努力して覚えると言うのとは 又 違うと思います。
頼る場所を増やしているに過ぎないのです。
「うちの子供は出来ないから」とか「頭がよくない」とか決めて話す方がいます。
その方はまだ単に自分の子供の秀でている所に
気がついておられないだけではないでしょうか?
テストで100点取ったって、クラスで1番だったって、
幼子の屁理屈に聞こえるかも知れないけれど日本中では何番だ!
100点は確かにその時点で理解出来ているのでしょうが、
1カ月後にできなければ意味がないのです。
何故、何でもかんでも解っていないといけないと思うのでしょう。
極端な話、何か1つその子が生き生きと出来る事が有れば、
それを周りの大人が大切にしてやることで、
その子の未来はワクワクしてくるのではないでしょうか。
何か1つと言うのは
単純に好きな事と言うだけに終わらせない自分から考える何かのことです。
物事に興味を持った時、始めは本質的な物。
次第に側面的な物、つまり、それに関連する事に興味を持ち出す。
そして、それをある程度気長に大人は見守ってやる姿勢が大切だと思います。
選択権を持てる人間になってほしいと思います。
人それぞれに幸せと感じれる事柄は違います。
親の人生は親自身の物。子供の人生も又、子供自身の物。
口出しする事はとても楽だと思います。結論を安易に教えているのだから。
ただ 親の考え=最上では有り得ないと思います。
親は自分が生きてきた範囲の中で善し悪しを考えてしまっているから。
決して「口を出さない」=「放任」ではでは有りません。
親は「私はいつもおまえを見守っている」と言う意識。
子は「親に見守られている」と言う意識は絶対的に必要だと思います。
子供時代は社会に出す訓練期間であり、予備練習の期間です。
その子の人生にずっと関わるのはこの時期に養われた内面的な物だと思います。