生徒に対する考え

1. 
私は、先生だからここまでしなくても・・・ 
と言うラインを引きません。 
生徒は音楽を通じて人間形成もしていっているのですから 
子供にとって良かれと思うことは行なうようにしています。 
ピアノ教師がそこまでしなくてもではなくて、 
人間形成が出来ていかないと音楽も出来ていかないから・・・ 
 
 

2. 
人間は環境によって、元々の能力によって、考え方によって、 
自分ができると言うことの線引きが違います。 
それを指導する側は見極め、妥協するのでなく線引きのラインを上げていく。 
それは無理を強いるのでなく、自信を付けていくフォローをすることです。 
 
3. 
レッスン中の集中力を養うのはとても大事なことです。 
レッスンをしていて教える側が一方的に熱心に教えていても 
その内容が単純に時間をかけて教えているとか、 
声を荒げて解ったというまで畳み込むでは教えている側の自己満足にしかなりません。 
生徒がどれだけ注意を聞こうとするかの態度に持って行く。 
そして指導するが大事です。 
だらだらの指導を私は善しとしていません。 
各週のテクニック指導などは1分を基準のタイマーを使います。 
ピアノ曲の指導も区切りを入れてポイントの指導で締めくくるようにしています。 
 
4. 
私は怒る。腹を立てる。をしません。 
実際、生徒の目に映る私が怒っているように 
見せるとか・嘆いているように見える態度はとります。 
でも、私の内面は平静です。怒る・嘆くように見せるのも音楽以外のことでです。 
他の生徒に迷惑をかける・・ 
でも、本人はそれが迷惑だと解っていない時に印象付ける為にします。 
レッスンに関しては、してこなかったからと言って 
それをとがめていてはレッスンの時間を少なくしてしまいます。 
してこなくてもかまわないのではなくて、 
それはその子供の根本的な考え・生活態度です。 
 
1つの曲を仕上げる。と言うことに関しても、1人1人納得度が違います。
そのレベルを上げること、又は1週間の間にしてこれない宿題に対して、 
何故出来ないか?の原因を取り除いてあげる協力をする。 
音符は読めても、その時点で慣れていってこそ苦になくなるのであって、 
読めるようになった時点でストップすれば、どんどん衰えます。 
練習時間を作るも表にしてここの時間が空いてるからさあしよう! 
なんて単純に行くものではありません。 
ご家庭への協力を促すなり、ピアノの弾ける時間の30分前位に時折 
「弾けるようになった? 解らないとこない?」 
の電話を入れたりもします。 
生徒に対して努力は必要だと思っています。 
 
 
 

指導するもの

ピアノのレッスンをする時、 
ただ生徒にテクニック・知識を伝授すればいいのでしょうか? 
専門分野に入る。又はそれを志す。 
そのような方には、それも然りだと思います。 
しかし、私は町のピアノ教師です。 
音大に進学される方の指導もしていますが、 
ピアノを弾いてみたいな。弾けるようになりたいな。 
の思いの人にレッスンをしています。 
 
音楽は、人間形成に1つの大きな役目をします。 
そして私はその音楽のレッスンをすることで 
生徒の中に大きくかかわります。 

生徒達とかかわっているのが大好きで、 
「ピアノを指導する」=「人間作りの一端を担っている」 
と思っています。 
 
・素直に人の話を聞く 
・自分で思考する 
・理解力を付ける 
・持続力を持たせる 
・探究心を持たせる 
・自分が出来る可能性を信じれる心 
 
生徒のレッスンにかかわるとき 底辺にこの思いがあります。 
 
子供達は生まれたばかりの時、
遺伝子・素質・資質によりそれぞれの出発ラインはすでに異なっています。。 
でも、それを取り巻く環境はもっと大きく 
子供の内容を変化させてしまうと思います。 
 
ワークをする子供の脇にお母様が居られる時 
・答えを書く全てを子供に任せる方 
・答えの字の書き方を注意される方 
・答えが早く出せるよう誘導される方 
・答えの間違いを見つけると何も言わずに消してしまわれる方 
・答えを早く書くことを要求される方 
 
私のレッスン室で目にする生徒と父兄の関係を 
ワーク1つをとってもこれだけおられます。 
それぞれのご家庭の価値観・子供に今何を求めておられるのか異なるため、 
おのずと子供の物事に対する対応の仕方も異なってきます。 
 
・時間をかけてもきっちり 始めから書く生徒 
・答えを書いて違うと言われれば別の答えを書いて持って行くことに抵抗を感じない生徒 
・間違いを指摘されると解らないと言うバリアーを張り巡らせる生徒 
・人より早く進んでいたいが先行する生徒 
・答えをお母様又は 私から引き出そうとする生徒 
・鉛筆を持っているけれど 問題を取り組むまでにかなりの時間を要する生徒 
 
私はお母様方に 
 
自分の子供を客観的に見る 
どうなってほしいかを考えてアドバイスなり注意・指導をしましょう。
 
 
と言います。でも、多くの方がその場を考えられます。 
 
 
町のピアノ教師としては 宿題の曲が 一応音を見て弾けて○ではないのです。 
そんなことではキーボードで弾くところが次々ランプがついていくのを先生にしても 
フロッピーで始めは曲をゆっくり流してあわせて練習して音を確認して、 
通して弾くための練習を個人でしていただいてもと変わらないからです。 
 
指導する限り 基本的な音の読み(読譜力)をつけ 
並行して拍子感をつけ、リズムを指導する。 
フレーズ(スラー)を弾く方法を指導し、 
曲によってのフレーズの持って行き方を指導する。 
その間に生徒それぞれの癖を直し・脱力を指導し・曲の組み立てを伝えていく。 
でも、これも指導する私が生徒に一方的に伝えた・教えたでは何にもならない。 
受け取る側の生徒がしっかりキャッチしてくれなければ・・・ 
そこで始めに書いた素直に人の話を聞き、 
自分で思考し、理解力・持続力・探究心のある生徒、 
物事をやり遂げられる力が自分にはあると言う自信を持てる生徒 
そういうことを育てていないと私からの単なる一方通行になってしまうのです。 
でも 100人の生徒それぞれが 違う環境・価値観の中にいるのですから。。 
適切に指導できるよう自分の中のアンテナを 
生徒に全開にして見ていないと出来ないことなのです。 
 
今、学校教育で学力が低下したから内容を難しくすると言っていますが 
知識を教え込む前に子供のそれを受け取れる 
底辺を何故広く深くしてあげることを考えないのでしょうか? 
私は、生徒達がピアノのレッスンを通して 
頭の中・心を深く広く大きくしてくれることを望みます。 
 
 
 

私の子育て2

2003年 8月15日

子供にとっての親を書いたので、子ども自身に対して書きます。 
子供の在り様で望むこと・・それは幸せな人生を歩んでほしい。 
ただこれだけです。 
 
幸せとは・・幸せを幸せと感じられる人間 
金銭・地位の在り様がイコール幸せではないと考えています。 
 
私を超える人間に育ってほしい。 
だから、人間としての本質的なことはしっかり伝えますが 
がんじがらめには育てませんでした。 
頭の中は柔軟に。 
 
私の好きな言葉は 他のどこかでも言ったかもしれないけれど 
「人間万事塞翁が馬」 
「人の一生は重荷を負いて遠き道を行くが如し」 
があります。 
 
「人間万事塞翁が馬」は 
人間の力ではそれが幸か不幸か解らないというように私は理解しています。 
だからこそ「ああしとけばよかった」「こうしたら・・・」と言う思いで、 
後々くいの残らないよう努力を惜しまず物事にあたりたいし、あたれる人間に育っておいてほしい。 
 
もうひとつは徳川家康の「人の一生は重荷を負いて遠き道を行くが如し」です。 

この言葉の後に「急ぐべからず。不自由を常と思へば不足なし」という言葉がつづきます。 
 
色々な知識は自分の自然の在り様が良くなるようにする人間としての栄養です。 
だから、小学生の勉強に親が「しなさい」と言うより、 
これから色々なことを身に着けていくための単なる底辺でしかなく、 
それが解らなくては自分が本当にしたいことが見つかった時に理解できないことになってしまう。 
だから、点数はたいしたことでなく 
「結果解っていなければ解った状態にまでしておかないと大変よ」 
ですむと思うのです。 
 
子供が何点を取ったかより理解できているかの確認が大事です。 
親のためのテストでなく、あくまで本人主体の考えで接する。 
 
中学・高校で好き嫌いの科目があっても専門知識ではなく、 
基礎知識だから学んでおかないと何時自分が巡りあったしたいことに必要か解らない。 
絶対に要らないことは人生が終わる時にしか 
「ああ、あれはやらなくても良かったかもしれない」位の問題よ。 
自分の中に蓄積できる全て自分にプラスになる事で、 
ああだこうだ言ってると社会に出て自分に選択権がなく、 
しなければいけないこともきっとあるだろうにそんな時どうする? 
やだ!とか やめた!なんて 言えないよ?今はそんな時でもがんばれる練習よ。 
 
どういう時どんな対応を自然に出来るか。 
「やだ」とか「いやだな」の気持ちを押さえて愚痴に思いながら 
物事をする生活習慣を身に付けさせるのでなく、 
まずやらなくてはならないことをぐずぐず言わずにする姿勢。 
このほうが物事に対処するのでも楽です。 
 
同じするなら、しやすい方法を考えるのも大事だと言います。 
時間は1日24時間と言うのが変わらない。 
でも、勉強だけで全て終わりでは面白くない。 
1人の人間を形成する上で 勉強・遊び・趣味・人との関わり、 
色んなことがその中での一部でしかないのです。 
偉いとか凄いとかは、人の評価であって、 
それにより自分自身を高めるステップになって実力になるのだと思います。 
 

昔、子供が見ていたアニメに「ドラゴンボール」と言うのがありました。 
主人公が悪と戦う時、地球の全ての色々なものから「気」をもらって倒すのです。 
私は子供に 
「自分がどんなにスゴーい人になっても皆の助けがないと何も出来ないんだよ。 
人間はいろんな人の力を借りて生きているのよ。 
それは目に見え て助けてくれる人もいるし、 
あなたが気がつかない間にあなたの為にを思って動いてくれている人も沢山いるのよ。 
そんな人にはありがとうございますが言えないでしょ。 
だから何かをするとき、したら損みたいなことを思うことはないのよ。 
あなたが人の為に出来る以上に人はあなたの為に動いてくれていることを忘れてはだめよ。」 
と言いました。 
 
私はピアノの生徒に対しても同じなのですが 
「何故しないの」「何故解らないの」「何故出来ないの」は極力言いません。 
「どうしたら出来るかを考えよう」  
「解らないから今解る為のお勉強をする」 
「出来ないから学ぶ」 
の姿勢を崩さない。怒らない。 
出来て当たり前の態度は、場合によっては本人のプライドをくすぐって自信につながるけれど、 
たいていは出来たことを素直に認め、褒める。 
 
大人の目から見れば普通でも生まれて10年もたたないような子が 
何事もやる気を出さないと出来ないと思います。 
それを正当に評価し、認めることで自発的にするようにもなるし 
理解することも早くなっていきます。 
 
私は生徒のお母様たちにお話しするのですが 
、やりなさいを言われなれると「しているフリ」だけする子に 
なってしまいかねない。 
感情・頭の中はのぞけない。 
1時間勉強するように言われれば、だらだら集中しないでしていても、 
お母様は「こんなに時間かかって まだ出来ないの!」と怒る言葉で締めくくってしまう。 
 
しようの気持ちですれば 30分で済んでしまうかもしれない。 
そんな時「凄い!がんばったね」と声がけする方と 
「ほんとに出来たの 間違いばっかりじゃない???」 
と声がけするお母様となら、私は例え間違いだらけで あったにしても、 
その場はがんばってしたことに対して褒めて残り30分を好きなように遊ばせて 
「でも残念ながら間違ってました。直しをしましょう。」で いいと思います。 
 
あくまで本人の為にしていることだから、間違いに対しては自分で責任を取る=直しをする。 
「したの?まだ出来ないの!」の声がけは誰のためのなのかが解らなくなる。 
これではさせてもらえていることに対しての感謝 
がなくなってしまいます。 
 
子育ては本当に 面白いと思います。 
自分のちょっとした弱点を知らず知らずに子供が真似ている。 
この子ならこうするだろうなが解ってしまう。 
だから、反対 にこれをさせたければどうすれば良いかも見えてくる。 
1つのことに対する時10方向あると考えれば、 
やらせると言うよりどうすれば苦なく取り組んで進んで するようになるかが見えてくる。 
外れれば、それは子供が親の見通しより 成長していると言うこと。 
 
幼稚園前に 親子の深い関係を作って 幼稚園・保育園が 子供の社会との関係の第1歩。 
小学校に入って、それぞれの個性・考え方の違い・自己表現の仕方を学んで行き、 
中学・高校で小さな社会(人間関係)・地域社会での自分の確立をしていく。 
大学は人間として社会へ巣立っていく準備だと考えています。 
 
一番下は19歳。まだ 私が社会に飛び立つヒナの羽を整えている役目をもう少し楽しめます。 
 
 
 

私の子育て1

私にご自分のお子さんの教育方法のアドバイスを 
求められる方の場合の大体が3人の息子達が私学の中学・高校の一環校に入り 
東北大・東大・京大にそれぞれが進んだことが根底にあるようです。 
そして言われることの多くが 
「先生のところは頭がいいから」 「元が違うんです」「私のところなんかは」 
とおっしゃてくださいます。 
私自身は素直な優しい子供に育っていることがうれしいことです。 
 
私は子育てに限らずピアノの生徒に接する時も 
自分自身の何かしようと考えている時も、 
今だけでなく1年後・3年後・5年後・10年後と場合によって異なりますが 
どうなっていたいのかを考えるようにしています。 
 
私個人として、ピアノを教えているというか、 
仕事を続けていたいと言うのがまずありました。 
仕事をすることが子育てにとってマイナスではいけない。 
プラスでなくては・・・ 
 
基礎的な行動・考え方・取り組み方を身に着けてもらわないとがあります。 
 
私が気をつけることとして 
1.物事に関して一貫性を持つ。 
2.怒るのでなく叱る。 
3.周りに対しての感謝の気持ち。 
4.自分に厳しい態度。 
5.子供を手助けするより極力見守る。 
6.結果より過程を重視して次につなげる。 
7.他人との比較をせず 本人の成長を中心に考える。 
8 大人時間で物事を動かすだけでなく、子供時間のゆっくりした流れも持つ。 
9.親を大切にする。 
 
 
1.物事に関して一貫性を持つ。 
 
何か事をするとき、今日だけとか・人が見ているからとか・ 
自分にゆとりがあるからいいは絶対にしてはいけないこと。 
子供の生きる能力の中でのお母さんの態度の見方が位置づけられてしまいます。 
今はしてもお母さんは怒らないになると教育にはならないで感情の 
追いかけっこになってしまいます。 
見かけるパターンとして、路上や電車内で人の迷惑顧みず騒いで 
いる子供を叱らないのも何を考えているのだろうと思いますが、 
回りが怒鳴られているがごとく子供に怒っている人もいます。 
そういうことは、躾が出来てから乗せるべきです。 
普段からそういった躾をしていないのに電車内だからと言って注意 
されても子供からしたら意味がわかりません。 
 
2.怒るのでなく叱る。 
 
何か子供に注意しなければならないことが出来た時、 
極力感情は抑えて話をする。 
がーがー怒ってしまうと、お母さんは怒っているから 
機嫌が悪いんだへと変わって行き自分が何をして叱られるに 
いたったかは解らなくなってしまうから・・ 
そして、又同じ繰り返しをすることになります。 
良いか悪いか危険だからしないは、目を見てきっちり話をするが大切です。 
今日は怒らないなんて思わせるのはもってのほかだと思います。 
 
3.周りに対しての感謝の気持ち。  
 
周りがしてくださったことに対して「ありがとうございます」 
がいえることは大事なことです。 
親に対してもありがとうが言える子供であってほしいと思います。 
子供は親を選べません。 
親は子供が社会に巣立てるようになるまで 
を育てる権利が与えられているのだと思います。 
義務ではありません。権利です。 
だから、「これをしてやらないと」とか「これを与えてやらなくては」 
ではないのです。 
だから、親だからするのが当たり前なのでなく、感謝する気持ちの 
持てる子に育ってほしいのです。 
 
私は、子供に今の生活は親の生活レベルであって、貴方達のでは 
ないから必要以上の贅沢はさせたくないと言います。 
ただ、社会勉強として金銭的なものは私が出して経験をさせる。 
TPOを学ぶ機会を持たせますが・・ 
子供達はこれから社会に出て自分達の生活を築いていかなければなりません。 
そんな時一生懸命働いて報酬をいただいて築くが大事だと思います。 
親の力で出来ることで補いすぎているとしてもらえることが 
当たり前になって働く意欲にも影響するのではと考えます 
 
 
4.自分に厳しい態度。  
 
子供の生活態度は親の観察から始まっていると思います。 
何か行動する時GOかSTOPかの判断に親がよぎると考えます。 
何から何まで全てに気を配っていては親のほうも気の休まる時がありません。 
これはと言うのを決めて自分自身に対して譲らない態度が必要だと思います。 
そうでないと 
「お母さんは子供にいっぱい色んなことを言うけれど楽をしている」 
と思っている子供もいます。 
そんな中から、親に対しての尊敬の念は生まれないのではないでしょうか。 
表面的に友達感覚の親子もいいですが 
子供に内面で一目おかれていたいと思います。 
 
 
5.子供を手助けするより極力見守る。 
 
私のところは音楽の楽典的なことから始めてもらうのですが、 
どうしてもお母様の中には間違いの答えに対して、 
即答で「違うでしょ。考えて」をおっしゃる方たちがいます。 
その時には、すでに消しゴムで子供の解答は消されています。 
手直しをしないで、そのまま持ってこさせてください。と言うのですが、 
間違いと解っているのにだめなのでしょうか?と分かって頂けません。。 
自分でして私に見せに来て、間違いを自分で直せる生徒は 
3冊目くらいになると自発的に出来ていきます。 
お母様が手をかけてくださると3冊目くらいからだんだん面倒になるようで、 
やれば出来るよの気持ちを植えつけることをしていかないとならなくなり、 
お母様たちもだんだんややこしくなり、口が出せなくなり、 
暫く子供にとってこの環境に慣れてもらわなくてはになります。 
 
やさしい問題の時点で自分でして自分で消して・考えて・調べて 
の基本動作を身に着けてもらうのです。 
私は、どれだけの知識を何歳で知っているかは重要なのでなく 
どういう風に物事に対処できこなすことが出来るようになるかが大事だと考えます。 
 
何時までも親が横でこれをして終わったらあれをしてでは 
言われなければ動かなくて良いにもなるでしょうし、 
どっち道言われるからそれまではしないにもなります。 
 
 
6.結果より過程を重視して次につなげる。 
 
私の場合、極端なのですが子供の成績表を見るのは次の学期始業式前日。 
親の判が要りましたから・・ 
小学校の間は大いに遊んで多くの友達を作ってほしい。 
小学校の間は人間生活が順当にできていくように 
その最初の第一歩だと思います。 
「小学校は先生があなたの知らないことをいっぱい 
教えてくれはるからよく聞いて私にも教えてね」 
「テストは間違って覚えていないかを確かめてはるのやから 
間違ったとこはちゃんと直して覚えなおしておきね」 
でテストで何点かも気にしない態度をとりました。 
全部出来ていたら「すごい!」とほめることはしましたが・・ 
受験をしないのなら塾へ通わせるつもりはなかったのですが 
私の住んでいるところは教育に関心の高いご家庭が多く長男も 
友達が塾へ通っているから一緒に行きたいで、 
5年生で週2回くらいの近くの塾へ通い、 
5年の終わり頃に受験がしたいと言いましたので、大手の進学塾に変わりました。 
自分との知識の差に驚いたようです。 
そして、その時4年だった次男に 
「今から塾に通わせてと言ったほうがいい」とアドバイスした様です。 
夏に許可して入塾テストに通ったらね。 
で、結果通い始めました。 
3男も兄達のアドバイスで塾へ行く時期を決めたようです。 
 
私は子供達に95点を10回取って間違いを見直さなければ、 
どんなに悪い点をとっても見直して理解していっている人の方が 
11回目にはすごくなっているかもしれない。と言います。 
 
勉強科目で好き嫌いがあるのは嫌いな科目は、 
その面白さに出会っていないだけだとも言います。 
この知識が必要か?必要でないか?は自分で決めれることではない。 
色々な知識が物を考える時大きな力になってくれることがある。 
自分から拒否して知らないのは生きていくうえで大きな損をすることだと。 
 
 
7.他人との比較をせず 本人の成長を中心に考える。 
 
小学校に通っている時点で 成績表に重点を置かなかったのは 
40人弱の生徒のそれぞれの科目に対して、どこまで担任の先生が 
見られるのだろうかと言う考えがあったからです。 
子供の内容は親である私が一番理解している理解していなければと思いました。 
小学校へ入る頃 我が子は3人とも20まで数えれて、 
ひらがなは読めて、名前は書けて、カタカナは?位でした。 
当然100以上数えれる・漢字が書ける・英語を習っている等 
色々なお子さんがおられます。「すごいね。がんばってはるね。」は言います。 
 
それだけです。 
 
我が子は 先ほども言いましたが 
知識よりまず社会生活に順応してほしいがありましたから、 
遊ぶのに忙しくて・・状態です。ピアノは私が教えていました。 
小学2年でそろばんには通いました。 
ピアノもそろばんも脳そのものを刺激します。 
子供がするしないにかかわりなく脳の中が成長していくと考えます。 
 
ピアノのレッスンでも直接でなく間接的に上達させていく方法をよくとります。 
子ども自身大変ではないのにレベルがアップして賢くなります。 
親はどんな勉強をさせる・どんな問題集を与えるを考える 
と同じにどうすれば子供が出来やすくなるかを考える。 
この方がよほど効率的に伸びると考えます。 
 
 
8.大人時間で物事を動かすだけでなく子供時間のゆっくりした流れも持つ。 
 
早くして! さっさとして!を連発される方がおられます。 
大人の段取りで次から次へと事を進めていくのって 
そんなに大切なことなのでしょうか。 
 
ピアノに向かって、弾いていれば 安心されている方がいます。 
どんな曲かなって考える・想像する。 
それは子供本人にしか出来ないこと。 
お稽古事に時間を追われて、1日が終わった時に子供に今日させないと 
いけないことは済ませたとドリルを何ページさせたとかが 
そんなにたいしたことではないと考えます。 
 
子供が自分で納得してしなきゃいけない・しようと思っていることを 
出来るようになっていってもらうことが大事。 
せっつかれて動いていては自分で考えて行動することを忘れるか・ 
表面済ませてしまった日程表に満足するかの子供になるのではないでしょうか?? 
 
私は子供に小さいうちから知識だけを植え込んでいくことはしたくなかった。 
同じ部屋で今から1時間私は本を読みたいから。とか 
この調べ物をしたい。とか言って、 
あなたたちは何をして過ごす?で 
漫画を読もうが、ゲームをしようが、ブロックを組み立てようが任せます。 
 
日を重ねるごとに子供達も慣れてきます。 
これは集中力を養うのに役立ちます。 
どんなことであれまず本人の好きなことから時間を 
忘れ取り組める実績を作ります。 
どんなにくだらないことと思っても見ている事は大事です。 
 
親はあせってはいけません。
 
 

生徒との出会い

全く面識のない方・又はその方々のお子さんを指導する。 
それが私の出会いです。 
 
私の持っている音楽を吸収していただく事になります。 
私にとっては 
新しいお子さんを持つ=新たに与えられた課題 
だという意識があります。 
それぞれの生徒の持ち味・受け取り方・理解力・集中力等全てが皆異なります。 
だからこそ誰々と同じ教育方法で良い訳がない。 
大事なお子さんを自分の判断で教育方法・指導方法を考える責任の重さも感じ、 
責任の重さと同様に面白さを感じ、日々新しい方法を模索しています。 
 
ただ、悲しいこともあります。 
30歳前半の頃は特に生徒がある日「急に止めます」と言いに来られた時 
どれほどショックを受け、レッスンの全てを止めてしまいたくなったことか・・ 
いくら1人の生徒の1年間のカリキュラムを考え、 
生徒の力の足りないところをいかに補い、 
得意をいかに伸ばすかを考えてレッスンしていても 
「止めます」の一言で全てが終わる。 
空しさを感じ、声が出なくなるほどの気力の萎えていくを 
感じたことが多くありました。 
 
どんなに良かれと考えに考えても・・・ 
「でも、私以上に親のほうが子供のことを考えているのだ」 
と自分を納得させることにしました。 
ある時からいつ生徒がストップしても習っていたことが 
これから先のプラスになるようにと考え、指導して行こうに切り替えました。 
そうすると何故かストップする生徒が減り、 
たとえ受験でストップしても半年・1年で教室に戻ってくる子が増えてきました。 
 
そのままストップした生徒も学校のクラブで音楽関係をしていたり、 
グループで何かしていたりと楽しんでくれいることを 
お母さんから聞き、うれしく思います。 
今年も夏前に受験でストップした生徒(中学受験と高校受験)が 
2月の試験が済んだらレッスンに来ると連絡をしてきてくれました。 
先生として「がんばりよ!待ってるね」はうれしい言葉がけです。 
 
多くの人が生活をしているその中での出会いを大切にしたい 
レッスンで空きを待っていてくださる方達にも「いつ空くか分かりませんし」 
ということと「空いても希望される時間がいつ空くかは分かりませんので」 
とお伝えします。(生徒数が120人いますので・・) 
申し込まれて2ヶ月ほどで 入っていただける方もありますし 
1年待ってくださる方もおられます。 
でもこれ自体ご縁だと思います。 
どんなに教えたい、習いたいと思ってもタイミングが合わないこともある。。 
不思議だなと感じます。だから余計に出会いを大切にしたいと思います。