就学前

色々と環境・設備は変わりましたが、今も昔も子育ては大変だと思います。 
でも親にとって何よりも大切な事であり、何事にも変えることのできないもの。 
だからこそどんなに大変でも苦しい時でも育てていけるのだと思います。 
 

生命が母親の体内に宿り、生きていくすべての物を母親から与えられ 
母親の体内を通し て音を聞き、感じ育ちます。 
赤ちゃんとして体外に現れた時、うすーく うすーく 色付きかけているかも知れないけれど、 
まだ限りなく白でそこに少しずつ色を付けていくのは、母親であり、父親であり、 
場合 によってはおじいちゃん・おばあちゃん・お兄ちゃん・お姉ちゃんだと思います。 
 
子供を育てるのは、その子をどういう環境で育てるか?どういう方針で育てるか? 
だと思います。 
学校等での教育はその中のホンの1部でしかないと思います。 
知識は知識であり、心ではありません。 
こどもが誕生した時、ほとんどの親が「素直な」「優しい」「人を思いやれる」子に 
なってほしいと願ったでしょう。 
 
「優しい頭の良い子に育てたい」と思うなら、 
親が関わってやれる範囲のことだけに押さえるべきです。 
「関わってやれる」と言うのは何も送り迎えの出来ると言う意味ではありません。 
一緒に自分がするつもりで考えてみられたら何かをさせるにしても 
1つで十分だと言うことがお解り になると思います。 
 
子供の勉強が出来るか?あまり芳しくないか?は 
「集中力」「思考力」「理解力」「要約力 」「計算力」だと思います。 
 
色々なことをさせ、時間拘束の中連れ回られている子供に集中力を望むのは難しい話です。 
集中力をつけさせたいのなら、何か1つの事を一生懸命にするように導くべきでしょう。 
 
絵とは思えない絵に没頭している時、人形遊びに夢中になっている時、砂で山を作ったり 
トンネルを作ったりしている時・・等、親が子供にしてやれるのは没頭できる十分な時間を 
とってやる事だと思います。 
 
他にも、自分で考えるのはパズルのような問題だけで、実際の自分の行動は親が次々指図して 
自分が何をしたくてどう行動するのかを決めさせてもらえない子に思考力を望むのはかわいそうです。 
 
子供はこの世の中の扉を開け、順々にその子に応じた慣れ方をして、 
その「慣れる」過程 でその子なりの思考力は育っていきます。 
それに対して、恐らく20年以上もたくさん生きて、何らかの経験をしてしまっている大人 
が手っ取り早く段取りや答えを与えてしまうのはどんな物なのでしょうか? 
その子供の「思考力」はいつ育むのでしょうか? 
 
とても小さい間は すごく賢くても気が付いた時には・・・・ 
 
せわしなく時間に追われ 何事も大人の考えた出来上がった答えをあたかも知識であるが如く 
与えられている子供には 理解力や要約力を望むのはかわいそうです。 
物事があって経過がなくて答えが有る。 
いかにすぐに答えられるかで 一喜一憂する方がいます。それってそんなに凄い事ですか? 
単に要領を身に付けてしまっただけではないのでしょうか。 
 
1~100までを3歳や4歳で数えられて、凄いと喜ばれる大人がいます。 
小学校に入れ ば大概可能になる事です。 
2~3年早く出来ても人生の長さの中で はたいしたことではないと思います。 
 
確かに最低限の知識が無いと発想は生まれません。 
しかし、子供の思考力とは発想以前の もっと根冠の部分ではないでしょうか? 
そんな事で時間を使うくらいなら、積み木を重ねたりして遊ぶことで 
数自体の持っている違いを自然と感じれるようになる方がずっと意義の有る事だと思います。 
 
ボケッと空の雲の動きを見ていたり、土を見てるのか?花を見てるのか?アリを見ているのか? 
解らないけれど、傍から見たらぼーとしている時間に 
色んな事が身に付いていっているかもしれません。 
 
物事を学ばせたいと思ったら、本人が興味を持つように環境を持っていく事。 
自分で感じていかなければ身に付いていってはくれません。 
 
よく上の子は何をするにもゆっくりで要領が悪く、 
下の子はさっさとしてしまう・出来てしまうというのが有ります。 
上の子が接するのは親です。下の子は親と上の子の接するのを見て育ち、 
また上の子が下の 子の生活環境を作ります。 
どういう事かと言うと、大概の御家庭の場合、上の子がピアノを習う時、自分で練習する時 
しかピアノの音色は聞こえません。 
 
つまり、未開の地を開拓していくが如くです。 
でも下の子がピアノを始める時 既にピアノの音色に幾分馴染んでいます。 
更に大体の場合、自分の練習曲は上の子がした曲だったりしてなんとなく親しみよくなっています。 
だから上の子よりすっと出来ても凄いことでは ないのです。これが環境です。 
頭からさせなきゃと思うより そういう環境作りが大切だと思います。 
 
色々な知識が例え身に付いたとしても、 
それによって本人の喜びがなければ何の意味が有 るのでしょう? 
 
「いつもお母さんは怒っていた」・「お母さんにやらされていた」では、 
させている親もしている子も幸せではないと思います。 
子供は言われたことをしているだけ・・・ 
そんなことであなたが望む能力は伸びてくれないと思います。 
大人は子供のずっと先の将来の人間性を大切に考えなくてはいけないのではないでしょうか 
 
 
 

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