レベル

私は生徒たちにレベルを上げようと声掛けをします。 
人にはそれぞれ満足するラインがあります。 
がんばらなくても普段初見練習をしているのですから練習時間が 
少なくてもほどほどには弾けます。 
でも、弾くと演奏は違います。 
どの程度練習しているかは聞けば解ります。 
演奏は練習しなければ出来ません。かつ、考えて練習しなければ。 
ただピアノの前に座って時間が過ぎるのを待つような練習では意味がありません。 
 

生徒たちが上達するには上手になりたいという 
内面の気持ちを持たせ高めること、 
課題を高く持ってもついてこられる意識を持つこと。 
出来ていない間は「それではまだ曲になっていない。」の意味すら理解できないのです。 
「弾けてるのに」の目をもっと弾けるようになりたいの輝く目に変える。変わる。 
と生徒もレッスンがもっと面白くなる。 
 
小学高学年や中学生になると「学校の勉強したくない」と愚痴る生徒が出てきます。 
私は「色々な知識がないと自分が本当にしたいことが見えてこないんだよ。 
又、何かしたいと思ったとき、知っていて当たり前のことを知らなかったら 
分かるはずのことが時間をかけても理解できなくなるかもしれない。 
物事をするとき の選択権は相手にあるより自分にあるほうがいいじゃない。 
自分のレベルを上げるのは自分だよ。」と話をします。 
 
私には息子が3人います。 
これから先、幸せな人生を歩んでほしいと願っています。 
私は幸せと言うものは 自分だけで感じれるものではないと思っています。  
自分だけが幸せでいると言うことはありえないと考えます。 
自分の周りが幸せで自分も幸せ、だと考えます。 
だから 日本が幸せであってほしいと願っています。 
生徒たちも自分で幸せを手にしていくという自覚・意識を 
自分のレベルを上げるというピアノのレッスンが少しでもプラスになればと思っています。 
 
 
 

ゆとり教育

本当のゆとり教育とは子供が成長過程において 
時間にゆとりがあるのではなく、 
将来、頭脳に・心に人間としてゆとりを持てる 
ようになることではないでしょうか。 
 
確かに遺伝的なものがあるかもしれないけれど、 
それ以上に子供は取り巻く大人や環境によってどうにでも育っていくと思います。 
例えば、整理整頓の出来ない大人に育てられれば、 
片付いていない状況が普通で「片付ける」という 
行動を改めて学ばなければならない。 
整理整頓が当たり前で育った子供は、 
片付いている状態が普通だから改めて片付ける事を 
学ぶ必要も行動も最小限ですむことになります。 
私は片付けなさいと言っているし、 
整理整頓もするけれど子供はしないという方がいらっしゃるかもしれません。 
それは残念ながら整理整頓は当たり前であることを 
示していても子供に自身ですべきことという認識を持たせる事を怠り、 
自分で片付けたほうが手っ取り早いから「片付けなさい!」 
と叱りながらも手を出して子供より先に片付けているのではないでしょうか? 
どうすれば片付くのか?どの状態を片付いたと言うのか? 
その手間を省いているのではないでしょうか。 
現状片付いていれば良いのでなく、 
将来子供にとってどうあれば良いかを考えて育てるのが教育でしょう。 
 
幼年期から塾に通う方たちがいます。頭脳に早く色々な知識を詰め込む。 
知識を詰め込む自体は脳を刺激しているから良いとは思うのですが、 
暗記させることや反射神経的に出来ることを訓練するよりも、 
物事の考え方・取り組み方・ 何故そうなるのか 
もう一つ掘り下げて考えることの方が大事なのではないでしょうか? 
そういった方向で教育することで結果的に 
ゆとりを持てる人間に育てることができるのだと思います。 
 
例えばピアノの練習をする場合毎日15分すれば 
今週はとてもがんばって練習した、できるようになったと満足する生徒もいれば、 
今週は毎日30分しか練習できなかったと思う生徒もいます。 
練習内容も単にピアノの前に座り楽譜を見ているようで 
なんとなく弾いている生徒もいれば、 
レッスンで受けた注意を直そうとする生徒、 
直すためにはどんな練習をしたら良いかを考える生徒と色々です。 
でも、それぞれはそれぞれに練習をしたつもりでいます。 
練習時間は必要十分であれば問題ありません。 
 
なんとなく練習をしている生徒は、 
どれだけ練習してきて注意が直ってこないのですからなかなか曲が進みません。 
そして「やっても 上手にならない」と思うのです。 
当然、練習の仕方を指導したりしますが、 
漫然と弾いてくる生徒は中々上っ面の練習から抜けだせません。 
気長に生徒が目覚めてくれるようその時その時に応じて 
生徒に話をしていくのみです。 
真に気づいた時 グーッと伸びます。 
勉強もその時その時漫然と勉強時間を過ごさせるのでなく、 
取り組み方を指導する。 
自己満足のために練習をしていることを理解しているなら・・まあ良いでしょう。 
しかし、上達するためとなるとそうではいけません。 
漫然と練習していても効果は薄いのです。 
 
このことが分かっている教育者が少ないように思います。 
口が達者な子供もちょっと知識の多い子供も大人の目から見れば真っ白です。 
その子供が教育者・身近な大人の持っている 
間違った常識・練習方法に影響されると恐ろしいですね。 
自分の子供は自分たちで責任を持って生きさせていくだけでなく 
真に育てていくのを考えるべきだと思います。 
 
つまり、学校でのゆとり教育が言われますが、 
それぞれの家庭の方針が重要になってくるのだと思います。 
何を大切とするかがまずそれぞれの家庭で異なります。 
極端な話、学校の成績が良ければ最上の子供と考える方もおられます。 
私はそうと思いませんが・・・ 
 
勉強は自分を創るための食事と同じだと思います。 
口から入る食べ物は体を作り、学ぶことにより人間自体を創る。 
小学校の高学年や中学生になると 
「こんな勉強(科目) 私には必要ないのに」と言う子供がいます。 
そんな時、私はこういう風に答えます。 
「何をしたくなるか将来のことは未知でしょう。 
専門的なことでなく一般常識的なことが多いし、 
数学なんかも構成力を養う練習よ。 
自分の親・友人だけが今の 全てだろうけれど、 
色々な考えを持った人が多くいて、 
今のあなたなら「うそー」の言葉しか出てこないことも沢山あるはずよ。 
今は社会に出て社会で生活して いけるように準備をしてるんだよ」 
と言います。知識の引き出しを多く持ちなさいと私はよく言います。 
 
選択しなければならないとき A君は10センチの立方体の容量の知識しかなく、 
B君は100センチの立方体の容量の知識を持っている場合、 
A君にはB君の 選択が理解できないか、その選択に感銘を受けるでしょう。 
A君が1時間かかることをBの人は5分で出来るかもしれません。 
しかも1時間かけたA君よりも完 成度が高いこともあるかもしれません。 
また、例えば災害が起きた時に「可哀想」と思うだけの子もいれば、 
「もし自分の住んでいるところで起こったらどういう行動をすべきだろう」 
と考える子もいます。 
こういったことは日頃の習慣・経験に起因します。 
 
だから子供が知識・経験を増やすのは偉いのではなく、 
自分の人生を豊かに出来る可能性を増やせる状況を与えているんだよと教えるべきです。 
中々「そうかあ。感謝感謝。」と納得するお子さんはいらっしゃいませんが^^; 
 
子供のプラス面もマイナス面も育てている大人が本当は一番見えているはずです。 
子供に対し「もう!」と思うことが例えばあるなら、 
「もう!」と大人が思うことをどうすれば子供は治せるのだろうか 
を考えられるのも、一番身近にいる大人。 
そして、その子供に一番近いのが家庭。。その次に教師です。 
私は2番目に近い位置にいる責任ある大人として考えていかなければなりません。 
ゆとりのある多くの人たちが育ってこそ豊かな日本の将来があるのですから。 
 
 
 

私の子育て3

お母さまで 
「言ってるんですけどしないんです。」 
のようなことを言われる方がいます。 
私は言うことは言っている、親としてとるべき態度はとっている。 
と無意識に自分を正当化されている。 
 
子育ては自分に与えられた課題だと思います。 
自分の子が「しなさい!」「したの?」でするか?しないか? 
は日々の生活の早い段階で分かると思います。 
なら、親の義務としての声がけをするのはやめたほうが良いのでは? 
と思います。 
言って言うことをきかない→ 
イライラしてきつい口調で話す→ 
子供が泣く 
 
体は疲れるし、とことん言わないと収拾がつかなくなり、叱る時間が延びる。 
子供が本当に反省するのはマレ?ではないでしょうか。 
お母さんが怒っている間何もできない。 
泣いたら余計に子供も疲れる。 
 
何もいいことがありません。 
お母さんが自分の子に何かをさせたい場合、 
どうすれば自分の子供は行動するかを考える。 
 
お母さんの枠にはめ過ぎようとしていないか? 
子どもにとって良いと思って動いているか? 
親として「子供にこんなにしています」の自己満足が先に立っていないか? 
 

枠にはめ過ぎると、いざ自立をしてほしい時に 
自分から行動を起こすことをしなくなります。 
お母さんがリラックスできて、穏やかな気分でいられることが 
子どもにとってベストだと思います。 
 
しなければならない→ 
負担を感じるようになる→ 
誰のためにしてると思っているの!と罵声が飛ぶ 
 
互いにどうしたい、どうしよう、お母さんが主導権をとるのでなく、 
協力できる範囲を示してみる。 
怒ってる時間と体力がとっても無駄なものじゃないかなと思います。 
 
生徒達が「先生聞いて!うちのお母さんすぐ怒るよ」と言ったとき 
「お母さんと一緒に生活してて、何したらお母さん怒るか分かるやん。 
あなたが大切や思って注意してること聞かへんかったら 
「モー!」って思うんちゃうん? 
今週はお母さん怒らせへん!に挑戦してみ」 
 
私に訴えてきた生徒の誰からも「実行できた」 
の報告はまだもらえてないけれど・・・ 
 
 
 

おかしいなと思うこと

(年をとってきたのかなきたのかな?おばさん的見方なのかな?) 
 
草花を育てる時土壌を豊かにすることを考えるのに、 
子育ての料理に手をかけないお母さんが増えるんだろう? 
教育熱心でも、ファミリーレストランだったり、 
作られたものを買ったり、お菓子のような食事だったり・・・ 
子供の体や脳に栄養を送る元なのに、 
知識を埋め込むのが脳の栄養だと思っているんだろうか?? 
いくら高い球根を買って来ても土が悪いと育たないのに。  
 
電車の中で「うるさい!じっとして!」叫んでる親がいる。 
普段、こういう所は騒いではダメとかまず教えておくべきだし、 
自分の子供なのだからどう言えばどう言う反応を示すか把握しておくべきだと思う。 
「後でしりとりしよう!今、電車に乗ってる間に色々な言葉考えておいて」 
とか課題を与える。 
静かに出来るなら絵本を渡すのもいい。 
手遊びを教えて、単純なのなら両手を膝の上に広げて 
右手左手同時に12345と指を折れたら、 
次は右1折って左1とずらして、右12折ってから左1折りを始める。 
等、親が対応を考えるべきである。 
中にはすべて無視して親自体行儀が??の人もいるけれど。 
 
電車の中でお化粧をする若い人が増えました。 
先達ても向かい合わせの4人席に女性が座り、 
座るや否や手提げから化粧道具が次々と現れ、 
降りるまで1時間あったんですが、そのかばんには化粧道具しかないの? 
と聞きたくなるくらい・・鏡だけで4つ出てきて 
1時間をその方は有効に使っていらっしゃるんだけれど。。 
 
 
 

時間

よくそれだけの時間がありますね。と言われます。 
生徒を教える数でまず驚かれます。他のページでも書いていますが 
何も始めから120人以上を指導していたわけではありません。 
 
私には3人の息子がいます。 
長男と3男では7歳年の差がありますから 
結果的に子育ての時期は長かったわけです。 
 
子供が同居している間と言うか、今は別々に住んでいますから、 
息子たちに出す食事は全て手作り。 
インスタントと名の付く物を自らは与えなかった。 
ルーも手作り。カップ麺をまれに子供達が 
小遣いで買って食べる分を否定はしなかったけれど・・ 
食べ物が脳を作ると思っていたから自ら作りたかった。 
今自分の為にはインターネットで冷凍食品も含んでの買い物をしているけれど・・ 
まして男の子3人の食べる量は並大抵ではなかった。 
出来合いを買っていたら家計はパンクしてしまう。 
 
自転車の前と後ろの籠に満杯の食材を見て、見せの人からお店をしてるの? 
と聞かれたのも懐かしいことです。 
作るときよく子供も一緒に作ったから 
変形したコロッケ・ハンバーグ・餃子等彼らは覚えているだろうか。 
パンもよく焼いた。 
でも、焼くときはどうしても同じ種類のパンばかりを焼くことになるので、 
子供達からパンはもういいと断られてしまいました。 
 
セーターも着てくれる間は手編みのセーターを編んだけど、 
トレーナーに座を奪われた。 
ゲーム機も今は色々出ているけれど、 
初めてニンテンドーがゲーム機を販売、 
通称ファミコンが出るまでゲームを作る本が出ていて 
パソコンに打ち込んでいくと簡単なゲームが出来上がるので、 
作って遊ばせていました。 
 
今はフロッピーやCDが普通ですが 
その頃はカセットテープのテープに打ち込んでいける小さな機械があり、 
結構色々作りました。算数問題の1+1=みたいなのも、 
変化をもたせて賢い+賢い=誰?なんていうのも・・ 
でも、ファミコンに負けちゃいましたね。 
 
子供が小学生の間は35人~50人くらい。 
子供の手がかからなくなるにつれ60人70人90人110人と増えていきました。 
70人くらいまではクリスマスに生徒たちに渡すプレゼントを 
入れる巾着袋も8月くらいからボチボチ作り出したりして。 
今は生地を選んで業者さんに頼んでますが・・ 
 
ワープロでよく、おけいこノートも試行錯誤しました。 
時間を見つけては色々まず作ってみる。 
一回使っては改良を加える。教具も手作りだらけ・・看板もそうですね。 
全てが私にとってワクワクすることなんです。 
 
私は息子たちに 
「勉強も仕事も始めたらなかなか辞められないから慌てることは無い」 
と言いました。 
小さい時に一生懸命知識を詰め込むことは無い。 
教わった時に「なーんだ、そんなこと知ってるわ」なんて悲しいやん。 
凄い!!と思うから興味もわくし、調べようとも、覚えようとも思うから・・ 
早くから何回も何回も同じことを覚えるなんて時間がもったいない。 
覚える時期が来たとき1回で覚えたら残りは遊べる。 
実行してたと思います。 
 
主人が亡くなり、長男の責任からでストレス溜まって 
体調不良で受験勉強しなかったね。と長男は東北大へ。 
一浪した時「落ちるのはおかしい」と8月終わりまでサーッカー三昧、 
9月からは宅浪で東大へ、 
3男も「前代未聞に勉強しない」と担任から言い放たれ 
高3の6月から始動始め京大へ。 
今も彼らは一杯自分を楽しんでいると思う。 
 
今はスタッフに私が考えたピアノのレッスンに効果ある 
カリキュラムを毎週こなしてもらっています。 
人に任せる行動に移るまでが、私には大きなハードルでした。 
私に習いに来ているのにそんなことしていいんだろうか?? 
でも生徒たちに伝えたいことを十分にできる時間が削られてきている。 
生徒数を限るべきか?でも、折角習いたいと言ってくれているのに・・ 
2年くらい悩みました。でも、スタッフをお願いしたい人を人選しよう! 
皆さんとてもよく理解し頑張ってくれます。 
今で2年を過ぎ浸透してきています。 
反対に「ピアノを習いに来て、まだこんなに色々せなあかんの」 
と生徒が思わない程度です。 
 
生徒によってそれは異なるから、それぞれの生徒を良く見て量を考えて、 
と言っています。 
何もしない、時間だけが流れていくことはしないで、 
大事な時間を使ってる意識を持つ。 
ピアノ、ワークの答え合わせ、ソルフェージュと歌が私の担当。 
レッスンはスムーズに進みます。 
皆さんの協力あってです。ありがたい。 
 
今日、私は2008年4月の音楽会の選曲をしています。 
渡すのは大方の生徒が2曲。 
通常の本もそのままレッスンなので・・12月中旬に1曲を渡します。 
毎年250曲くらい用意します。弾いたり、CDやFDを聞いたり・・ 
生徒全員に連弾をしたいですか?誰と?何で(CD・FD)とか、 
個人曲は何が弾きたい?それも考慮です。 
2008年は何人もの生徒にオーケストラの音源を流して 
ピアノ演奏をするにトライさせるつもりです。 
朝からズーッと音楽と楽譜に埋もれていたので、 
休憩の意味もあって書いたから支離滅裂かな? 
 
では、ぼちぼち選曲作業に戻ります。 
生徒の感性とピッタシの曲を用意してあげられればいいけどな・・ 
 
 
 

私の子育て2

2003年 8月15日

子供にとっての親を書いたので、子ども自身に対して書きます。 
子供の在り様で望むこと・・それは幸せな人生を歩んでほしい。 
ただこれだけです。 
 
幸せとは・・幸せを幸せと感じられる人間 
金銭・地位の在り様がイコール幸せではないと考えています。 
 
私を超える人間に育ってほしい。 
だから、人間としての本質的なことはしっかり伝えますが 
がんじがらめには育てませんでした。 
頭の中は柔軟に。 
 
私の好きな言葉は 他のどこかでも言ったかもしれないけれど 
「人間万事塞翁が馬」 
「人の一生は重荷を負いて遠き道を行くが如し」 
があります。 
 
「人間万事塞翁が馬」は 
人間の力ではそれが幸か不幸か解らないというように私は理解しています。 
だからこそ「ああしとけばよかった」「こうしたら・・・」と言う思いで、 
後々くいの残らないよう努力を惜しまず物事にあたりたいし、あたれる人間に育っておいてほしい。 
 
もうひとつは徳川家康の「人の一生は重荷を負いて遠き道を行くが如し」です。 

この言葉の後に「急ぐべからず。不自由を常と思へば不足なし」という言葉がつづきます。 
 
色々な知識は自分の自然の在り様が良くなるようにする人間としての栄養です。 
だから、小学生の勉強に親が「しなさい」と言うより、 
これから色々なことを身に着けていくための単なる底辺でしかなく、 
それが解らなくては自分が本当にしたいことが見つかった時に理解できないことになってしまう。 
だから、点数はたいしたことでなく 
「結果解っていなければ解った状態にまでしておかないと大変よ」 
ですむと思うのです。 
 
子供が何点を取ったかより理解できているかの確認が大事です。 
親のためのテストでなく、あくまで本人主体の考えで接する。 
 
中学・高校で好き嫌いの科目があっても専門知識ではなく、 
基礎知識だから学んでおかないと何時自分が巡りあったしたいことに必要か解らない。 
絶対に要らないことは人生が終わる時にしか 
「ああ、あれはやらなくても良かったかもしれない」位の問題よ。 
自分の中に蓄積できる全て自分にプラスになる事で、 
ああだこうだ言ってると社会に出て自分に選択権がなく、 
しなければいけないこともきっとあるだろうにそんな時どうする? 
やだ!とか やめた!なんて 言えないよ?今はそんな時でもがんばれる練習よ。 
 
どういう時どんな対応を自然に出来るか。 
「やだ」とか「いやだな」の気持ちを押さえて愚痴に思いながら 
物事をする生活習慣を身に付けさせるのでなく、 
まずやらなくてはならないことをぐずぐず言わずにする姿勢。 
このほうが物事に対処するのでも楽です。 
 
同じするなら、しやすい方法を考えるのも大事だと言います。 
時間は1日24時間と言うのが変わらない。 
でも、勉強だけで全て終わりでは面白くない。 
1人の人間を形成する上で 勉強・遊び・趣味・人との関わり、 
色んなことがその中での一部でしかないのです。 
偉いとか凄いとかは、人の評価であって、 
それにより自分自身を高めるステップになって実力になるのだと思います。 
 

昔、子供が見ていたアニメに「ドラゴンボール」と言うのがありました。 
主人公が悪と戦う時、地球の全ての色々なものから「気」をもらって倒すのです。 
私は子供に 
「自分がどんなにスゴーい人になっても皆の助けがないと何も出来ないんだよ。 
人間はいろんな人の力を借りて生きているのよ。 
それは目に見え て助けてくれる人もいるし、 
あなたが気がつかない間にあなたの為にを思って動いてくれている人も沢山いるのよ。 
そんな人にはありがとうございますが言えないでしょ。 
だから何かをするとき、したら損みたいなことを思うことはないのよ。 
あなたが人の為に出来る以上に人はあなたの為に動いてくれていることを忘れてはだめよ。」 
と言いました。 
 
私はピアノの生徒に対しても同じなのですが 
「何故しないの」「何故解らないの」「何故出来ないの」は極力言いません。 
「どうしたら出来るかを考えよう」  
「解らないから今解る為のお勉強をする」 
「出来ないから学ぶ」 
の姿勢を崩さない。怒らない。 
出来て当たり前の態度は、場合によっては本人のプライドをくすぐって自信につながるけれど、 
たいていは出来たことを素直に認め、褒める。 
 
大人の目から見れば普通でも生まれて10年もたたないような子が 
何事もやる気を出さないと出来ないと思います。 
それを正当に評価し、認めることで自発的にするようにもなるし 
理解することも早くなっていきます。 
 
私は生徒のお母様たちにお話しするのですが 
、やりなさいを言われなれると「しているフリ」だけする子に 
なってしまいかねない。 
感情・頭の中はのぞけない。 
1時間勉強するように言われれば、だらだら集中しないでしていても、 
お母様は「こんなに時間かかって まだ出来ないの!」と怒る言葉で締めくくってしまう。 
 
しようの気持ちですれば 30分で済んでしまうかもしれない。 
そんな時「凄い!がんばったね」と声がけする方と 
「ほんとに出来たの 間違いばっかりじゃない???」 
と声がけするお母様となら、私は例え間違いだらけで あったにしても、 
その場はがんばってしたことに対して褒めて残り30分を好きなように遊ばせて 
「でも残念ながら間違ってました。直しをしましょう。」で いいと思います。 
 
あくまで本人の為にしていることだから、間違いに対しては自分で責任を取る=直しをする。 
「したの?まだ出来ないの!」の声がけは誰のためのなのかが解らなくなる。 
これではさせてもらえていることに対しての感謝 
がなくなってしまいます。 
 
子育ては本当に 面白いと思います。 
自分のちょっとした弱点を知らず知らずに子供が真似ている。 
この子ならこうするだろうなが解ってしまう。 
だから、反対 にこれをさせたければどうすれば良いかも見えてくる。 
1つのことに対する時10方向あると考えれば、 
やらせると言うよりどうすれば苦なく取り組んで進んで するようになるかが見えてくる。 
外れれば、それは子供が親の見通しより 成長していると言うこと。 
 
幼稚園前に 親子の深い関係を作って 幼稚園・保育園が 子供の社会との関係の第1歩。 
小学校に入って、それぞれの個性・考え方の違い・自己表現の仕方を学んで行き、 
中学・高校で小さな社会(人間関係)・地域社会での自分の確立をしていく。 
大学は人間として社会へ巣立っていく準備だと考えています。 
 
一番下は19歳。まだ 私が社会に飛び立つヒナの羽を整えている役目をもう少し楽しめます。 
 
 
 

私の子育て1

私にご自分のお子さんの教育方法のアドバイスを 
求められる方の場合の大体が3人の息子達が私学の中学・高校の一環校に入り 
東北大・東大・京大にそれぞれが進んだことが根底にあるようです。 
そして言われることの多くが 
「先生のところは頭がいいから」 「元が違うんです」「私のところなんかは」 
とおっしゃてくださいます。 
私自身は素直な優しい子供に育っていることがうれしいことです。 
 
私は子育てに限らずピアノの生徒に接する時も 
自分自身の何かしようと考えている時も、 
今だけでなく1年後・3年後・5年後・10年後と場合によって異なりますが 
どうなっていたいのかを考えるようにしています。 
 
私個人として、ピアノを教えているというか、 
仕事を続けていたいと言うのがまずありました。 
仕事をすることが子育てにとってマイナスではいけない。 
プラスでなくては・・・ 
 
基礎的な行動・考え方・取り組み方を身に着けてもらわないとがあります。 
 
私が気をつけることとして 
1.物事に関して一貫性を持つ。 
2.怒るのでなく叱る。 
3.周りに対しての感謝の気持ち。 
4.自分に厳しい態度。 
5.子供を手助けするより極力見守る。 
6.結果より過程を重視して次につなげる。 
7.他人との比較をせず 本人の成長を中心に考える。 
8 大人時間で物事を動かすだけでなく、子供時間のゆっくりした流れも持つ。 
9.親を大切にする。 
 
 
1.物事に関して一貫性を持つ。 
 
何か事をするとき、今日だけとか・人が見ているからとか・ 
自分にゆとりがあるからいいは絶対にしてはいけないこと。 
子供の生きる能力の中でのお母さんの態度の見方が位置づけられてしまいます。 
今はしてもお母さんは怒らないになると教育にはならないで感情の 
追いかけっこになってしまいます。 
見かけるパターンとして、路上や電車内で人の迷惑顧みず騒いで 
いる子供を叱らないのも何を考えているのだろうと思いますが、 
回りが怒鳴られているがごとく子供に怒っている人もいます。 
そういうことは、躾が出来てから乗せるべきです。 
普段からそういった躾をしていないのに電車内だからと言って注意 
されても子供からしたら意味がわかりません。 
 
2.怒るのでなく叱る。 
 
何か子供に注意しなければならないことが出来た時、 
極力感情は抑えて話をする。 
がーがー怒ってしまうと、お母さんは怒っているから 
機嫌が悪いんだへと変わって行き自分が何をして叱られるに 
いたったかは解らなくなってしまうから・・ 
そして、又同じ繰り返しをすることになります。 
良いか悪いか危険だからしないは、目を見てきっちり話をするが大切です。 
今日は怒らないなんて思わせるのはもってのほかだと思います。 
 
3.周りに対しての感謝の気持ち。  
 
周りがしてくださったことに対して「ありがとうございます」 
がいえることは大事なことです。 
親に対してもありがとうが言える子供であってほしいと思います。 
子供は親を選べません。 
親は子供が社会に巣立てるようになるまで 
を育てる権利が与えられているのだと思います。 
義務ではありません。権利です。 
だから、「これをしてやらないと」とか「これを与えてやらなくては」 
ではないのです。 
だから、親だからするのが当たり前なのでなく、感謝する気持ちの 
持てる子に育ってほしいのです。 
 
私は、子供に今の生活は親の生活レベルであって、貴方達のでは 
ないから必要以上の贅沢はさせたくないと言います。 
ただ、社会勉強として金銭的なものは私が出して経験をさせる。 
TPOを学ぶ機会を持たせますが・・ 
子供達はこれから社会に出て自分達の生活を築いていかなければなりません。 
そんな時一生懸命働いて報酬をいただいて築くが大事だと思います。 
親の力で出来ることで補いすぎているとしてもらえることが 
当たり前になって働く意欲にも影響するのではと考えます 
 
 
4.自分に厳しい態度。  
 
子供の生活態度は親の観察から始まっていると思います。 
何か行動する時GOかSTOPかの判断に親がよぎると考えます。 
何から何まで全てに気を配っていては親のほうも気の休まる時がありません。 
これはと言うのを決めて自分自身に対して譲らない態度が必要だと思います。 
そうでないと 
「お母さんは子供にいっぱい色んなことを言うけれど楽をしている」 
と思っている子供もいます。 
そんな中から、親に対しての尊敬の念は生まれないのではないでしょうか。 
表面的に友達感覚の親子もいいですが 
子供に内面で一目おかれていたいと思います。 
 
 
5.子供を手助けするより極力見守る。 
 
私のところは音楽の楽典的なことから始めてもらうのですが、 
どうしてもお母様の中には間違いの答えに対して、 
即答で「違うでしょ。考えて」をおっしゃる方たちがいます。 
その時には、すでに消しゴムで子供の解答は消されています。 
手直しをしないで、そのまま持ってこさせてください。と言うのですが、 
間違いと解っているのにだめなのでしょうか?と分かって頂けません。。 
自分でして私に見せに来て、間違いを自分で直せる生徒は 
3冊目くらいになると自発的に出来ていきます。 
お母様が手をかけてくださると3冊目くらいからだんだん面倒になるようで、 
やれば出来るよの気持ちを植えつけることをしていかないとならなくなり、 
お母様たちもだんだんややこしくなり、口が出せなくなり、 
暫く子供にとってこの環境に慣れてもらわなくてはになります。 
 
やさしい問題の時点で自分でして自分で消して・考えて・調べて 
の基本動作を身に着けてもらうのです。 
私は、どれだけの知識を何歳で知っているかは重要なのでなく 
どういう風に物事に対処できこなすことが出来るようになるかが大事だと考えます。 
 
何時までも親が横でこれをして終わったらあれをしてでは 
言われなければ動かなくて良いにもなるでしょうし、 
どっち道言われるからそれまではしないにもなります。 
 
 
6.結果より過程を重視して次につなげる。 
 
私の場合、極端なのですが子供の成績表を見るのは次の学期始業式前日。 
親の判が要りましたから・・ 
小学校の間は大いに遊んで多くの友達を作ってほしい。 
小学校の間は人間生活が順当にできていくように 
その最初の第一歩だと思います。 
「小学校は先生があなたの知らないことをいっぱい 
教えてくれはるからよく聞いて私にも教えてね」 
「テストは間違って覚えていないかを確かめてはるのやから 
間違ったとこはちゃんと直して覚えなおしておきね」 
でテストで何点かも気にしない態度をとりました。 
全部出来ていたら「すごい!」とほめることはしましたが・・ 
受験をしないのなら塾へ通わせるつもりはなかったのですが 
私の住んでいるところは教育に関心の高いご家庭が多く長男も 
友達が塾へ通っているから一緒に行きたいで、 
5年生で週2回くらいの近くの塾へ通い、 
5年の終わり頃に受験がしたいと言いましたので、大手の進学塾に変わりました。 
自分との知識の差に驚いたようです。 
そして、その時4年だった次男に 
「今から塾に通わせてと言ったほうがいい」とアドバイスした様です。 
夏に許可して入塾テストに通ったらね。 
で、結果通い始めました。 
3男も兄達のアドバイスで塾へ行く時期を決めたようです。 
 
私は子供達に95点を10回取って間違いを見直さなければ、 
どんなに悪い点をとっても見直して理解していっている人の方が 
11回目にはすごくなっているかもしれない。と言います。 
 
勉強科目で好き嫌いがあるのは嫌いな科目は、 
その面白さに出会っていないだけだとも言います。 
この知識が必要か?必要でないか?は自分で決めれることではない。 
色々な知識が物を考える時大きな力になってくれることがある。 
自分から拒否して知らないのは生きていくうえで大きな損をすることだと。 
 
 
7.他人との比較をせず 本人の成長を中心に考える。 
 
小学校に通っている時点で 成績表に重点を置かなかったのは 
40人弱の生徒のそれぞれの科目に対して、どこまで担任の先生が 
見られるのだろうかと言う考えがあったからです。 
子供の内容は親である私が一番理解している理解していなければと思いました。 
小学校へ入る頃 我が子は3人とも20まで数えれて、 
ひらがなは読めて、名前は書けて、カタカナは?位でした。 
当然100以上数えれる・漢字が書ける・英語を習っている等 
色々なお子さんがおられます。「すごいね。がんばってはるね。」は言います。 
 
それだけです。 
 
我が子は 先ほども言いましたが 
知識よりまず社会生活に順応してほしいがありましたから、 
遊ぶのに忙しくて・・状態です。ピアノは私が教えていました。 
小学2年でそろばんには通いました。 
ピアノもそろばんも脳そのものを刺激します。 
子供がするしないにかかわりなく脳の中が成長していくと考えます。 
 
ピアノのレッスンでも直接でなく間接的に上達させていく方法をよくとります。 
子ども自身大変ではないのにレベルがアップして賢くなります。 
親はどんな勉強をさせる・どんな問題集を与えるを考える 
と同じにどうすれば子供が出来やすくなるかを考える。 
この方がよほど効率的に伸びると考えます。 
 
 
8.大人時間で物事を動かすだけでなく子供時間のゆっくりした流れも持つ。 
 
早くして! さっさとして!を連発される方がおられます。 
大人の段取りで次から次へと事を進めていくのって 
そんなに大切なことなのでしょうか。 
 
ピアノに向かって、弾いていれば 安心されている方がいます。 
どんな曲かなって考える・想像する。 
それは子供本人にしか出来ないこと。 
お稽古事に時間を追われて、1日が終わった時に子供に今日させないと 
いけないことは済ませたとドリルを何ページさせたとかが 
そんなにたいしたことではないと考えます。 
 
子供が自分で納得してしなきゃいけない・しようと思っていることを 
出来るようになっていってもらうことが大事。 
せっつかれて動いていては自分で考えて行動することを忘れるか・ 
表面済ませてしまった日程表に満足するかの子供になるのではないでしょうか?? 
 
私は子供に小さいうちから知識だけを植え込んでいくことはしたくなかった。 
同じ部屋で今から1時間私は本を読みたいから。とか 
この調べ物をしたい。とか言って、 
あなたたちは何をして過ごす?で 
漫画を読もうが、ゲームをしようが、ブロックを組み立てようが任せます。 
 
日を重ねるごとに子供達も慣れてきます。 
これは集中力を養うのに役立ちます。 
どんなことであれまず本人の好きなことから時間を 
忘れ取り組める実績を作ります。 
どんなにくだらないことと思っても見ている事は大事です。 
 
親はあせってはいけません。