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年齢を感じさせられた音楽会
息子たちと脳年齢を競ったり、Wiiにトライしたり、
脳年齢も25歳前後だしバランス年齢も40前後だし
まだまだ若い・・つもりでいたのに。
100人を超す生徒の指導と、音楽会準備はやはり体にかなり
きつかった様で前日のリハーサルも去年のように走り回ることが減り、
自分でも??だったけど、当日、舞台の生徒の足台合わせや
連弾の譜めくり等に続いて自分の歌。
全然平気のつもりで始まったのに・・曲半ばで貧血状態になり、
息が困難になり「倒れちゃダメ」と自分に言い聞かせながら
第3者の私が歌っている。音程が下がってきている。
そんな意識はあるのに。どうしようも体が言うことを聞かない。
「もうダメ!倒れる」と思いごめんなさいと顔を覆っている
自分とそれでも声を出している自分がいる。
今までに経験のしたことのない状況。
終わる寸前だったので、曲が終わるやお辞儀をして袖に帰る。
血の気がなく汗だくで・・
声楽は体が楽器。調整をしなさいと生徒には言って、
9年ぶりに歌った自分はそれを怠り当然の結果。
自分への教訓として映像を載せました。
いい勉強になったけれど、5月10日にある原宿での
コンサートに果たして望めるのだろうかと不安大で。
まして2曲、呼吸困難になったら・・ふらふらになったら・・
とまるで大学生の頃の試験に臨む心境です。
ピアノを習う??
ピアノを習いたい、習わせたいと思われる側は
何を求めておられるのだろう?
ピアノが弾けるようになりたい・・・どの程度?
音符を読めるようになって、音の長さを理解して、リズムが解って・・
この程度の状態ならパソコンで分かったことを打ち込んだ方がミスもない。
朗読に置き換えて言ってみると平仮名・カタカナ・出てくる漢字・点と
丸の区別が出来れば朗読は出来るのか?
声の色・読むテンポ・行間の表現等に聞きたい朗読か否かが出てくる。
これに延々の考慮や思考、悩みが出てくる。
ピアノを指導していると基本的知識は当然理解してほしいし、
テクニック内容を上げるために脱力や作曲家の生国、
時代に伴う演奏法の話もしなくてはならなくなる。
生徒数が120人いても、どの生徒にも生徒の習熟度や
理解度は踏まえてではあるけれど、理解してもらうよう指導する。
「弾ければいいんです」の内容は人によって異なるからよくわからない。
だから、どの生徒もいい状態にもっていきたい。
指導することをされている方はどなたも感じられるだろうけれど
「理解が出来る」のレベルが色々ある。
これは年齢に関係なくである。
でも素直でないと頭が良くても理解度の邪魔をしだす。
これは決して先生に対して従順であれ、ではない。
意思表示は出来なければ中身がない。
我儘な性格はダメということ。自己中心ではダメということ。
私はそれすら直していきたいと考え、取り組んでしまう。
1週間に1時間弱で人間を変えようと取り組んでしまう
私自身が間違っているのだろうか。
このところ6年、2年に1度位、ショックを受ける事柄に出会っている。
直ぐに声の調子が悪くなる。声楽の声が出なくなる。
撃たれ弱いなと情けなくなる。
「モンスターペアレント」という言葉があるけれど、
親のすること育て方に理解できないし、
そういう親自身が自分のしていることに違和感を全く抱いていないところに
私としては次の言葉が出なくなる。
でも私は恵まれているのだと思う。
どの生徒にも色んなこと言ったりしてもらったりするけれど、
お母さんたちは協力的だし、素直な子、優しい思いやりのある子、賢い子、
教室を我が家のように思ってくれている子といい子ぞろいだ。
素晴らしい子たちが楽しめる時間をいっぱい作ろう。
おかしいなと思うこと
(年をとってきたのかなきたのかな?おばさん的見方なのかな?)
草花を育てる時土壌を豊かにすることを考えるのに、
子育ての料理に手をかけないお母さんが増えるんだろう?
教育熱心でも、ファミリーレストランだったり、
作られたものを買ったり、お菓子のような食事だったり・・・
子供の体や脳に栄養を送る元なのに、
知識を埋め込むのが脳の栄養だと思っているんだろうか??
いくら高い球根を買って来ても土が悪いと育たないのに。
電車の中で「うるさい!じっとして!」叫んでる親がいる。
普段、こういう所は騒いではダメとかまず教えておくべきだし、
自分の子供なのだからどう言えばどう言う反応を示すか把握しておくべきだと思う。
「後でしりとりしよう!今、電車に乗ってる間に色々な言葉考えておいて」
とか課題を与える。
静かに出来るなら絵本を渡すのもいい。
手遊びを教えて、単純なのなら両手を膝の上に広げて
右手左手同時に12345と指を折れたら、
次は右1折って左1とずらして、右12折ってから左1折りを始める。
等、親が対応を考えるべきである。
中にはすべて無視して親自体行儀が??の人もいるけれど。
電車の中でお化粧をする若い人が増えました。
先達ても向かい合わせの4人席に女性が座り、
座るや否や手提げから化粧道具が次々と現れ、
降りるまで1時間あったんですが、そのかばんには化粧道具しかないの?
と聞きたくなるくらい・・鏡だけで4つ出てきて
1時間をその方は有効に使っていらっしゃるんだけれど。。
お勧めの本
私は本を読むのが大好きです。
図書館へ行く時間が無かったため 購入してでも読むというタイプです。
息子たちにも沢山の本を用意しました。
その本の多くは知り合いや親戚でもらっていいと
いってくれる人たちにお渡ししました。
でも3男が中学生になるころからは家にストックするようになりましたが
その頃は私が買い与えると言う事も無い時期になってしまっていました。
漫画日本歴史や漫画世界歴史や 漫画日本の古典・漫画歴史人物・・
雑誌でなく本ですが 何故か漫画です。
でも、生徒たちはお迎えを待っている時間に読んだり、
貸し出しで借りて行ったりして読んでいます。
簡単に読める名作集も購入して・・
生徒たちも読破を目指しているのや何度も同じのを借りるのやら色々です。
本を読むことで 自分の世界とは違う世界に
触れ、考え、感じることがあればなと思っています。
子育てや 教育の本は お母様たちが 借りていかれます。
最近素晴らしい本に出会いましたのでご紹介したく書きました。
ジェームズ・アレンのシリーズです。
・「原因と結果」の法則
・「原因と結果」の法則 2 幸福への道
・「原因と結果」の法則 3 困難を越えて
・「原因と結果」の法則 4 輝かしい人生
・幸せと成功をつかむ5つの設計図
・人生は、うまくいくようになっている
私の考え方と一致しているので読みやすいのかも知れません。
コンクール
私はこの5年程 コンクールと名の付く物に
生徒の内の何人かを出していました。
出すきっかけとなったのは、まず私の指導方針に間違いはないか・
私の音楽の仕上げさせ方に間違いはないか?自分自身への確認の様な物でした。
指導している側からして、お月謝をいただいて生徒の時間を割いて、
それで聞き劣りする音楽では・・・・
コンクールは、生徒も先生もやはり大変です。
課題曲が出され好き嫌い関係なく出るための練習をするのですから。
その日だけで終わるコンクールも有れば、3ヶ月位に渡って予選の有るのもあります。
私は普段のレッスン時にテクニックと曲も古典・クラッシック・ロマン・近現代
と耳が驚く事のないように色々取り入れてはいますが、やはり生徒の好む方向で渡します。
ある程度以上の結果が出ることが分かったので、
私は今年からコンクールに生徒を私が声をかけて出すのを辞めました。
結果的に今年は私の所からは誰も出ませんでした。
多い年は15人ほど出ていたのに・・
コンクールって何でしょう。
今どうなっているか知らないですが一時、「運動会で皆で手をつないでゴール」
と言うのが話題になった事があります。
私はあれは同意できません。
私は自分の子供にオールマイティにできる子に生んだ覚えも育てた覚えもない
と言います。
何かに秀でているから わくわくする。
それは自分の中で自信を持てる物が1つあれば十分人生楽しいと思います。
それは別に人と比較してどうこう言うのものではありません。
だから 人の秀でた点を素直に認められる人でないと
自分の素晴らしい点も見えなかったり、たいしたことではないように思えたり、
淋しい思いをするのではと思います。
コンクールに向けて練習する時、普段は書いてある指番号ですら守れない生徒が
どの指使いがよりよい演奏が出来るかを考え、強弱記号・表現記号を守り演奏する努力をする。
テンポも忠実に。曲を1つの大きなまとまりある物に仕上げる。
生徒がするコンクールに向けての努力は、本人にとてもプラスだと思います。
しかし、「コンクール」です。
同じ曲を30人~60人程流れ作業のように聴かれる審査員。
それも色々な級があるのですから、1日で250人と言うのも聞いた事があります。
生徒達はがんばって練習し、緊張もし、ドキドキもし、その場にいるのです。
コンクールの主催者側にすればその中の1人でも
指導した側からすれば大事に育てている生徒なんです。
流れ作業の中では演奏に対するマナーも何も気が付いたら終わった状態になり兼ねない。
同じコンクールの予選でも同じ方が審査員ではありませんから
感性も違うし聴き所も変わると思います。
でもこうなると当たりはずれと言う事をいわれる先生もいらっしゃいます。
自分の指導している生徒の評価点が
AよりBがいいと思っていてもBがAより評価点が高かったり。
それは前に演奏している人の点数からの影響も大です。
私のところでも同じくらいのレベルの生徒で
全国まで進めた生徒とそうでない生徒がいます。
絵も好き嫌いは誰にでもあります。
予選・本選に残る残らないは紙一重の所も有るとは思います。
最終的に素晴らしい演奏をされる方が残っていらっしゃるのだろうとは思います。
でも、その人たちの為にだけコンクールが有ればいいのではないのですから。
落ちた人でも素晴らしい個性の弾き手がいます。
それを潰してしまう可能性もあることも注意して欲しい。。
私は音楽は自分を楽しめ、人をも楽しませられるようになって欲しいと
生徒に言います。
自己満足の演奏でなく、考え悩み作ったであろう作曲家の思いを理解しようね。
とも言います。
受ける側の誠実な態度があっても、組織が大きくなって、
始められた頃の目的にそぐわない所が出てくれば、
会の中からすれば仕方のない1部分であってもその1部分の側から見れば、
それがすべてでそれから先の音楽に対する考えも変わりかねない事なのだから
もっともっと誠実に育てていきたいと言う気持ちで接し ていただきたい。
なんだかコンクールが空回りしているような誠実な子供の気持ちを簡単に
掃き落としているようなそんな空しさを感じて辞めました。