おかしいなと思うこと

(年をとってきたのかなきたのかな?おばさん的見方なのかな?) 
 
草花を育てる時土壌を豊かにすることを考えるのに、 
子育ての料理に手をかけないお母さんが増えるんだろう? 
教育熱心でも、ファミリーレストランだったり、 
作られたものを買ったり、お菓子のような食事だったり・・・ 
子供の体や脳に栄養を送る元なのに、 
知識を埋め込むのが脳の栄養だと思っているんだろうか?? 
いくら高い球根を買って来ても土が悪いと育たないのに。  
 
電車の中で「うるさい!じっとして!」叫んでる親がいる。 
普段、こういう所は騒いではダメとかまず教えておくべきだし、 
自分の子供なのだからどう言えばどう言う反応を示すか把握しておくべきだと思う。 
「後でしりとりしよう!今、電車に乗ってる間に色々な言葉考えておいて」 
とか課題を与える。 
静かに出来るなら絵本を渡すのもいい。 
手遊びを教えて、単純なのなら両手を膝の上に広げて 
右手左手同時に12345と指を折れたら、 
次は右1折って左1とずらして、右12折ってから左1折りを始める。 
等、親が対応を考えるべきである。 
中にはすべて無視して親自体行儀が??の人もいるけれど。 
 
電車の中でお化粧をする若い人が増えました。 
先達ても向かい合わせの4人席に女性が座り、 
座るや否や手提げから化粧道具が次々と現れ、 
降りるまで1時間あったんですが、そのかばんには化粧道具しかないの? 
と聞きたくなるくらい・・鏡だけで4つ出てきて 
1時間をその方は有効に使っていらっしゃるんだけれど。。 
 
 
 

コンクール

私はこの5年程 コンクールと名の付く物に 
生徒の内の何人かを出していました。 
出すきっかけとなったのは、まず私の指導方針に間違いはないか・ 
私の音楽の仕上げさせ方に間違いはないか?自分自身への確認の様な物でした。 
指導している側からして、お月謝をいただいて生徒の時間を割いて、 
それで聞き劣りする音楽では・・・・ 
コンクールは、生徒も先生もやはり大変です。 
課題曲が出され好き嫌い関係なく出るための練習をするのですから。 
その日だけで終わるコンクールも有れば、3ヶ月位に渡って予選の有るのもあります。 
 
私は普段のレッスン時にテクニックと曲も古典・クラッシック・ロマン・近現代 
と耳が驚く事のないように色々取り入れてはいますが、やはり生徒の好む方向で渡します。 
ある程度以上の結果が出ることが分かったので、 
私は今年からコンクールに生徒を私が声をかけて出すのを辞めました。 
結果的に今年は私の所からは誰も出ませんでした。 
多い年は15人ほど出ていたのに・・ 
 
コンクールって何でしょう。 
 
今どうなっているか知らないですが一時、「運動会で皆で手をつないでゴール」 
と言うのが話題になった事があります。 
私はあれは同意できません。 
私は自分の子供にオールマイティにできる子に生んだ覚えも育てた覚えもない 
と言います。 
何かに秀でているから わくわくする。 
それは自分の中で自信を持てる物が1つあれば十分人生楽しいと思います。 
それは別に人と比較してどうこう言うのものではありません。 
だから 人の秀でた点を素直に認められる人でないと 
自分の素晴らしい点も見えなかったり、たいしたことではないように思えたり、 
淋しい思いをするのではと思います。 
 
コンクールに向けて練習する時、普段は書いてある指番号ですら守れない生徒が 
どの指使いがよりよい演奏が出来るかを考え、強弱記号・表現記号を守り演奏する努力をする。 
テンポも忠実に。曲を1つの大きなまとまりある物に仕上げる。 
生徒がするコンクールに向けての努力は、本人にとてもプラスだと思います。 
 
しかし、「コンクール」です。 
同じ曲を30人~60人程流れ作業のように聴かれる審査員。 
それも色々な級があるのですから、1日で250人と言うのも聞いた事があります。 
生徒達はがんばって練習し、緊張もし、ドキドキもし、その場にいるのです。 
コンクールの主催者側にすればその中の1人でも 
指導した側からすれば大事に育てている生徒なんです。 
流れ作業の中では演奏に対するマナーも何も気が付いたら終わった状態になり兼ねない。 
同じコンクールの予選でも同じ方が審査員ではありませんから 
感性も違うし聴き所も変わると思います。 
でもこうなると当たりはずれと言う事をいわれる先生もいらっしゃいます。 
自分の指導している生徒の評価点が 
AよりBがいいと思っていてもBがAより評価点が高かったり。 
それは前に演奏している人の点数からの影響も大です。 
私のところでも同じくらいのレベルの生徒で 
全国まで進めた生徒とそうでない生徒がいます。 
 
絵も好き嫌いは誰にでもあります。 
予選・本選に残る残らないは紙一重の所も有るとは思います。 
最終的に素晴らしい演奏をされる方が残っていらっしゃるのだろうとは思います。 
でも、その人たちの為にだけコンクールが有ればいいのではないのですから。 
落ちた人でも素晴らしい個性の弾き手がいます。 
それを潰してしまう可能性もあることも注意して欲しい。。 
 
私は音楽は自分を楽しめ、人をも楽しませられるようになって欲しいと 
生徒に言います。 
自己満足の演奏でなく、考え悩み作ったであろう作曲家の思いを理解しようね。 
とも言います。 
 
受ける側の誠実な態度があっても、組織が大きくなって、 
始められた頃の目的にそぐわない所が出てくれば、 
会の中からすれば仕方のない1部分であってもその1部分の側から見れば、 
それがすべてでそれから先の音楽に対する考えも変わりかねない事なのだから 
もっともっと誠実に育てていきたいと言う気持ちで接し ていただきたい。 
 
なんだかコンクールが空回りしているような誠実な子供の気持ちを簡単に 
掃き落としているようなそんな空しさを感じて辞めました。 
 
 
 

時間

よくそれだけの時間がありますね。と言われます。 
生徒を教える数でまず驚かれます。他のページでも書いていますが 
何も始めから120人以上を指導していたわけではありません。 
 
私には3人の息子がいます。 
長男と3男では7歳年の差がありますから 
結果的に子育ての時期は長かったわけです。 
 
子供が同居している間と言うか、今は別々に住んでいますから、 
息子たちに出す食事は全て手作り。 
インスタントと名の付く物を自らは与えなかった。 
ルーも手作り。カップ麺をまれに子供達が 
小遣いで買って食べる分を否定はしなかったけれど・・ 
食べ物が脳を作ると思っていたから自ら作りたかった。 
今自分の為にはインターネットで冷凍食品も含んでの買い物をしているけれど・・ 
まして男の子3人の食べる量は並大抵ではなかった。 
出来合いを買っていたら家計はパンクしてしまう。 
 
自転車の前と後ろの籠に満杯の食材を見て、見せの人からお店をしてるの? 
と聞かれたのも懐かしいことです。 
作るときよく子供も一緒に作ったから 
変形したコロッケ・ハンバーグ・餃子等彼らは覚えているだろうか。 
パンもよく焼いた。 
でも、焼くときはどうしても同じ種類のパンばかりを焼くことになるので、 
子供達からパンはもういいと断られてしまいました。 
 
セーターも着てくれる間は手編みのセーターを編んだけど、 
トレーナーに座を奪われた。 
ゲーム機も今は色々出ているけれど、 
初めてニンテンドーがゲーム機を販売、 
通称ファミコンが出るまでゲームを作る本が出ていて 
パソコンに打ち込んでいくと簡単なゲームが出来上がるので、 
作って遊ばせていました。 
 
今はフロッピーやCDが普通ですが 
その頃はカセットテープのテープに打ち込んでいける小さな機械があり、 
結構色々作りました。算数問題の1+1=みたいなのも、 
変化をもたせて賢い+賢い=誰?なんていうのも・・ 
でも、ファミコンに負けちゃいましたね。 
 
子供が小学生の間は35人~50人くらい。 
子供の手がかからなくなるにつれ60人70人90人110人と増えていきました。 
70人くらいまではクリスマスに生徒たちに渡すプレゼントを 
入れる巾着袋も8月くらいからボチボチ作り出したりして。 
今は生地を選んで業者さんに頼んでますが・・ 
 
ワープロでよく、おけいこノートも試行錯誤しました。 
時間を見つけては色々まず作ってみる。 
一回使っては改良を加える。教具も手作りだらけ・・看板もそうですね。 
全てが私にとってワクワクすることなんです。 
 
私は息子たちに 
「勉強も仕事も始めたらなかなか辞められないから慌てることは無い」 
と言いました。 
小さい時に一生懸命知識を詰め込むことは無い。 
教わった時に「なーんだ、そんなこと知ってるわ」なんて悲しいやん。 
凄い!!と思うから興味もわくし、調べようとも、覚えようとも思うから・・ 
早くから何回も何回も同じことを覚えるなんて時間がもったいない。 
覚える時期が来たとき1回で覚えたら残りは遊べる。 
実行してたと思います。 
 
主人が亡くなり、長男の責任からでストレス溜まって 
体調不良で受験勉強しなかったね。と長男は東北大へ。 
一浪した時「落ちるのはおかしい」と8月終わりまでサーッカー三昧、 
9月からは宅浪で東大へ、 
3男も「前代未聞に勉強しない」と担任から言い放たれ 
高3の6月から始動始め京大へ。 
今も彼らは一杯自分を楽しんでいると思う。 
 
今はスタッフに私が考えたピアノのレッスンに効果ある 
カリキュラムを毎週こなしてもらっています。 
人に任せる行動に移るまでが、私には大きなハードルでした。 
私に習いに来ているのにそんなことしていいんだろうか?? 
でも生徒たちに伝えたいことを十分にできる時間が削られてきている。 
生徒数を限るべきか?でも、折角習いたいと言ってくれているのに・・ 
2年くらい悩みました。でも、スタッフをお願いしたい人を人選しよう! 
皆さんとてもよく理解し頑張ってくれます。 
今で2年を過ぎ浸透してきています。 
反対に「ピアノを習いに来て、まだこんなに色々せなあかんの」 
と生徒が思わない程度です。 
 
生徒によってそれは異なるから、それぞれの生徒を良く見て量を考えて、 
と言っています。 
何もしない、時間だけが流れていくことはしないで、 
大事な時間を使ってる意識を持つ。 
ピアノ、ワークの答え合わせ、ソルフェージュと歌が私の担当。 
レッスンはスムーズに進みます。 
皆さんの協力あってです。ありがたい。 
 
今日、私は2008年4月の音楽会の選曲をしています。 
渡すのは大方の生徒が2曲。 
通常の本もそのままレッスンなので・・12月中旬に1曲を渡します。 
毎年250曲くらい用意します。弾いたり、CDやFDを聞いたり・・ 
生徒全員に連弾をしたいですか?誰と?何で(CD・FD)とか、 
個人曲は何が弾きたい?それも考慮です。 
2008年は何人もの生徒にオーケストラの音源を流して 
ピアノ演奏をするにトライさせるつもりです。 
朝からズーッと音楽と楽譜に埋もれていたので、 
休憩の意味もあって書いたから支離滅裂かな? 
 
では、ぼちぼち選曲作業に戻ります。 
生徒の感性とピッタシの曲を用意してあげられればいいけどな・・ 
 
 
 

私にはいっぱいの夢があります。 
その夢の一つは、生徒たちを楽しませながら上手にするには 
どうしたらいいんだろうから始まり、 
それに伴っての課題を色々考え現実のものとしていくことです。 
 
生徒とのコミュニケーションを深く持ちたい 
という想いから「おけいこノート」が生まれました。 
始めはワープロで作って家庭用コピー機で印刷してホッチキスで綴じて、 
そのやり方で4~5回は作り変えが続いて・・・ 
生徒数が60人越えた頃から印刷所に出して 
冊子にしていただくようになりました。 
 
次に音楽会、これも始めて15年くらい先輩方と 
組ませていただいて行っていました。 
やはり、50人を超した頃、他の先生方の生徒さんの時間との配分で 
迷惑をかけるので1人で行うようになりました。 
今度は、独自性のある音楽会がしたい・・という想いになり、 
毎年、色々な目標を立て「日本の作曲家の曲」だったり「物語」だったり・・ 
合奏や、トーンチャ イム演奏や、生徒もご父兄もレッスン以外に集まって 
練習をしなくてはならない事にも協力して頂き、 
わけて練習しても1度に50人~60人が集まってするのですから、 
限られた時間を、協力無しにはできません。 
 
音楽会自体も1度に集合写真を撮るには危険すぎて、2度に分ける。 
それでも、現在は130人ですから次回は3回? 
プログラムも皆さんのご理解があって出来ること。 
私は人に恵まれています。 
 
ピアノレッスンを始めた頃、どうしても1回1回をこなすだけのレッスン。 
一生懸命指導しているのに、次に生徒がレッスンに来たときに、 
前回のレッスン内容が生かされていない?? 
どうしたらいいんだろう・・ 
 
そこから、ピアノの教材以外に生徒それぞれの基礎力を 
付けていかなくては・・の考えになります。 
音・ドレミが読めなきゃ楽譜は読めない。 
練習を頑張ってしてくる生徒はその曲の楽譜は読めてくるけれど、 
中には丸暗記をしている生徒もいます。 
次の曲も、丸暗記?そんなことさせてはダメ! 
簡単に楽譜は読めるようにしてあげないと。楽しめない。 
 
生徒によっては紙質、音符の大きさが違うだけで読めなくなる生徒もいます。 
それぞれの生徒が、どの子も楽譜を読むのに苦がなくなるように・・考えて、 
その生徒、その生徒、と考えているとどんどん教材が増えました。 
生徒によって、教則本が異なるのも、 
その生徒がどうすれば取り組みやすいかを考えてです。 
 
テクニックをつけるのも、ハノン系やツェルニー系、 
それぞれに与えますがその番号を済ませば当分出てこない本や 
繰り返し繰り返し練習を行うように作っている本や、色々です。 
でも、きっちり出来ているかのチェックをこちらがちゃんとしておかないと、 
1年後には本によって差ができてしまいます。 
そんなことは出来ない。だから、こちらで再度チェック出来る教材を作りました。 
 
こんなことをしだすと、レッスンをする前にあれもしたい、 
これもしたいとカリキュラムばかりがたまっていきます。 
ソルフェージュや、歌、聴音もカリキュラムの中に組み込んで、順繰りに回る。 
パソコンも生徒たちに使ってもらい、 
音楽を聴いたり、楽譜作りをしたり、音楽関係のゲームをしたり・・ 
 
そんなこんなをテキストにして皆さんにも使ってもらえればと思い、 
インターネットを通して販売させていただき、アクセスしてくださる方、 
テキストを購入し てくださる方に恵まれ、それをDVDにしたら、 
先生方もわかりよいかな、で作りましたら、又、多くの先生方が購入してくださり、 
したいと思い、行動に移 せ、それを周りの方々が理解し応援してくださる。 
ありがたいです。 
 
昨年秋から、1人では限界があるから、スタッフの方を集め、 
レッスンの前後にカリキュラムをこなしていただく。 
毎週、音やリズムや指の形、楽典的なことに至るまで 
色々なカロキュラムを生徒に合わせて行ってもらう。 
私は、ほとんどピアノのレッスンに集中できる。 
1週間の生徒の状態を見て、次の週のカリキュラムや個別に 
生徒にしてほしいこともチェック出来るのですから、 
とてもレッスンがしやすいですし、生徒の成長も明らかです。 
現在6人の素晴らしいスタッフ。 
やはり私は恵まれています。 
 
 

私は生徒にかかわっていることが根本的に好きです。 
今年は4月の音楽会から年末まで、レッスンに関わらなかった日は 
15日ほどだったと思います。 
でも、ストレスはたまらない。 
居心地のいい好きな場所にいるから。 
 
昔、先生とは「鶴の恩返し」の鶴だと考えていた時期がありました。 
教えていただいたことを、羽の1枚1枚をはぐように生徒に伝えていく。 
でも、それは違うに気づきました。 
先生である私が楽しまなければ生徒にとって楽しい場所や時間は与えられない。 
 
だから楽しめるカリキュラムが作れます。 
 
今年の新たなことは、 
・國谷尊之先生のトークコンサートをお願いして、教室の生徒のために行っていただけたこと。 
・アドバイスレッスンも引き受けて教室に来てくださったこと。 
・奈良の秋篠音楽堂で使われていたフルコンを譲り受けたこと。 
 
大きな進歩は 
私は生徒がどれ程いようと全員が上手になってほしい。楽しめる演奏をしてほしい。 
ピティナのステップに参加する生徒、ピティナコンペティションに参加する生徒、 
ヤマハのヤングコンクール・JTPAのコンクール・グレンツェンコンクール等 
色々なものに、それぞれの生徒にあったものに参加をしていく。 
グレンツェンコンクール等は30人以上が予選を通過しました。 
1月2月に本選があります。 
コンクールも上達のきっかけ。 
自分だけ、家族だけでなく聴く人が楽しめる演奏が出来るように、 
そんな演奏がしたいと思う意識を持ってくれるように、 
深く音楽の内容を考え思い練習し演奏する。 
そんな意識も知識も教室へ来ることで得てほしい。 
着眼点を間違わず、柔軟性のある思考で、自分の可能性のレベルを高くしていく。 
そういう風に生徒を育てたい。 
私と生徒はピアノに向き合っている時間だけの関係では無い。 
 
次の希望として色々な楽器と合わせる機会を生徒に与えたい。 
どうすればできるんだろう・・・ 
大層なことでなく出来ればいいな。 
生徒も楽しめる、ワクワクしながら音が聴ける。 
選ばれた生徒だけでなく、皆に味わわせたい。 
これから又考える楽しみが出来ました。 
 
皆様よいお年を。 
 
 
 

生徒に対する考え

1. 
私は、先生だからここまでしなくても・・・ 
と言うラインを引きません。 
生徒は音楽を通じて人間形成もしていっているのですから 
子供にとって良かれと思うことは行なうようにしています。 
ピアノ教師がそこまでしなくてもではなくて、 
人間形成が出来ていかないと音楽も出来ていかないから・・・ 
 
 

2. 
人間は環境によって、元々の能力によって、考え方によって、 
自分ができると言うことの線引きが違います。 
それを指導する側は見極め、妥協するのでなく線引きのラインを上げていく。 
それは無理を強いるのでなく、自信を付けていくフォローをすることです。 
 
3. 
レッスン中の集中力を養うのはとても大事なことです。 
レッスンをしていて教える側が一方的に熱心に教えていても 
その内容が単純に時間をかけて教えているとか、 
声を荒げて解ったというまで畳み込むでは教えている側の自己満足にしかなりません。 
生徒がどれだけ注意を聞こうとするかの態度に持って行く。 
そして指導するが大事です。 
だらだらの指導を私は善しとしていません。 
各週のテクニック指導などは1分を基準のタイマーを使います。 
ピアノ曲の指導も区切りを入れてポイントの指導で締めくくるようにしています。 
 
4. 
私は怒る。腹を立てる。をしません。 
実際、生徒の目に映る私が怒っているように 
見せるとか・嘆いているように見える態度はとります。 
でも、私の内面は平静です。怒る・嘆くように見せるのも音楽以外のことでです。 
他の生徒に迷惑をかける・・ 
でも、本人はそれが迷惑だと解っていない時に印象付ける為にします。 
レッスンに関しては、してこなかったからと言って 
それをとがめていてはレッスンの時間を少なくしてしまいます。 
してこなくてもかまわないのではなくて、 
それはその子供の根本的な考え・生活態度です。 
 
1つの曲を仕上げる。と言うことに関しても、1人1人納得度が違います。
そのレベルを上げること、又は1週間の間にしてこれない宿題に対して、 
何故出来ないか?の原因を取り除いてあげる協力をする。 
音符は読めても、その時点で慣れていってこそ苦になくなるのであって、 
読めるようになった時点でストップすれば、どんどん衰えます。 
練習時間を作るも表にしてここの時間が空いてるからさあしよう! 
なんて単純に行くものではありません。 
ご家庭への協力を促すなり、ピアノの弾ける時間の30分前位に時折 
「弾けるようになった? 解らないとこない?」 
の電話を入れたりもします。 
生徒に対して努力は必要だと思っています。 
 
 
 

指導するもの

ピアノのレッスンをする時、 
ただ生徒にテクニック・知識を伝授すればいいのでしょうか? 
専門分野に入る。又はそれを志す。 
そのような方には、それも然りだと思います。 
しかし、私は町のピアノ教師です。 
音大に進学される方の指導もしていますが、 
ピアノを弾いてみたいな。弾けるようになりたいな。 
の思いの人にレッスンをしています。 
 
音楽は、人間形成に1つの大きな役目をします。 
そして私はその音楽のレッスンをすることで 
生徒の中に大きくかかわります。 

生徒達とかかわっているのが大好きで、 
「ピアノを指導する」=「人間作りの一端を担っている」 
と思っています。 
 
・素直に人の話を聞く 
・自分で思考する 
・理解力を付ける 
・持続力を持たせる 
・探究心を持たせる 
・自分が出来る可能性を信じれる心 
 
生徒のレッスンにかかわるとき 底辺にこの思いがあります。 
 
子供達は生まれたばかりの時、
遺伝子・素質・資質によりそれぞれの出発ラインはすでに異なっています。。 
でも、それを取り巻く環境はもっと大きく 
子供の内容を変化させてしまうと思います。 
 
ワークをする子供の脇にお母様が居られる時 
・答えを書く全てを子供に任せる方 
・答えの字の書き方を注意される方 
・答えが早く出せるよう誘導される方 
・答えの間違いを見つけると何も言わずに消してしまわれる方 
・答えを早く書くことを要求される方 
 
私のレッスン室で目にする生徒と父兄の関係を 
ワーク1つをとってもこれだけおられます。 
それぞれのご家庭の価値観・子供に今何を求めておられるのか異なるため、 
おのずと子供の物事に対する対応の仕方も異なってきます。 
 
・時間をかけてもきっちり 始めから書く生徒 
・答えを書いて違うと言われれば別の答えを書いて持って行くことに抵抗を感じない生徒 
・間違いを指摘されると解らないと言うバリアーを張り巡らせる生徒 
・人より早く進んでいたいが先行する生徒 
・答えをお母様又は 私から引き出そうとする生徒 
・鉛筆を持っているけれど 問題を取り組むまでにかなりの時間を要する生徒 
 
私はお母様方に 
 
自分の子供を客観的に見る 
どうなってほしいかを考えてアドバイスなり注意・指導をしましょう。
 
 
と言います。でも、多くの方がその場を考えられます。 
 
 
町のピアノ教師としては 宿題の曲が 一応音を見て弾けて○ではないのです。 
そんなことではキーボードで弾くところが次々ランプがついていくのを先生にしても 
フロッピーで始めは曲をゆっくり流してあわせて練習して音を確認して、 
通して弾くための練習を個人でしていただいてもと変わらないからです。 
 
指導する限り 基本的な音の読み(読譜力)をつけ 
並行して拍子感をつけ、リズムを指導する。 
フレーズ(スラー)を弾く方法を指導し、 
曲によってのフレーズの持って行き方を指導する。 
その間に生徒それぞれの癖を直し・脱力を指導し・曲の組み立てを伝えていく。 
でも、これも指導する私が生徒に一方的に伝えた・教えたでは何にもならない。 
受け取る側の生徒がしっかりキャッチしてくれなければ・・・ 
そこで始めに書いた素直に人の話を聞き、 
自分で思考し、理解力・持続力・探究心のある生徒、 
物事をやり遂げられる力が自分にはあると言う自信を持てる生徒 
そういうことを育てていないと私からの単なる一方通行になってしまうのです。 
でも 100人の生徒それぞれが 違う環境・価値観の中にいるのですから。。 
適切に指導できるよう自分の中のアンテナを 
生徒に全開にして見ていないと出来ないことなのです。 
 
今、学校教育で学力が低下したから内容を難しくすると言っていますが 
知識を教え込む前に子供のそれを受け取れる 
底辺を何故広く深くしてあげることを考えないのでしょうか? 
私は、生徒達がピアノのレッスンを通して 
頭の中・心を深く広く大きくしてくれることを望みます。 
 
 
 

私の子育て2

2003年 8月15日

子供にとっての親を書いたので、子ども自身に対して書きます。 
子供の在り様で望むこと・・それは幸せな人生を歩んでほしい。 
ただこれだけです。 
 
幸せとは・・幸せを幸せと感じられる人間 
金銭・地位の在り様がイコール幸せではないと考えています。 
 
私を超える人間に育ってほしい。 
だから、人間としての本質的なことはしっかり伝えますが 
がんじがらめには育てませんでした。 
頭の中は柔軟に。 
 
私の好きな言葉は 他のどこかでも言ったかもしれないけれど 
「人間万事塞翁が馬」 
「人の一生は重荷を負いて遠き道を行くが如し」 
があります。 
 
「人間万事塞翁が馬」は 
人間の力ではそれが幸か不幸か解らないというように私は理解しています。 
だからこそ「ああしとけばよかった」「こうしたら・・・」と言う思いで、 
後々くいの残らないよう努力を惜しまず物事にあたりたいし、あたれる人間に育っておいてほしい。 
 
もうひとつは徳川家康の「人の一生は重荷を負いて遠き道を行くが如し」です。 

この言葉の後に「急ぐべからず。不自由を常と思へば不足なし」という言葉がつづきます。 
 
色々な知識は自分の自然の在り様が良くなるようにする人間としての栄養です。 
だから、小学生の勉強に親が「しなさい」と言うより、 
これから色々なことを身に着けていくための単なる底辺でしかなく、 
それが解らなくては自分が本当にしたいことが見つかった時に理解できないことになってしまう。 
だから、点数はたいしたことでなく 
「結果解っていなければ解った状態にまでしておかないと大変よ」 
ですむと思うのです。 
 
子供が何点を取ったかより理解できているかの確認が大事です。 
親のためのテストでなく、あくまで本人主体の考えで接する。 
 
中学・高校で好き嫌いの科目があっても専門知識ではなく、 
基礎知識だから学んでおかないと何時自分が巡りあったしたいことに必要か解らない。 
絶対に要らないことは人生が終わる時にしか 
「ああ、あれはやらなくても良かったかもしれない」位の問題よ。 
自分の中に蓄積できる全て自分にプラスになる事で、 
ああだこうだ言ってると社会に出て自分に選択権がなく、 
しなければいけないこともきっとあるだろうにそんな時どうする? 
やだ!とか やめた!なんて 言えないよ?今はそんな時でもがんばれる練習よ。 
 
どういう時どんな対応を自然に出来るか。 
「やだ」とか「いやだな」の気持ちを押さえて愚痴に思いながら 
物事をする生活習慣を身に付けさせるのでなく、 
まずやらなくてはならないことをぐずぐず言わずにする姿勢。 
このほうが物事に対処するのでも楽です。 
 
同じするなら、しやすい方法を考えるのも大事だと言います。 
時間は1日24時間と言うのが変わらない。 
でも、勉強だけで全て終わりでは面白くない。 
1人の人間を形成する上で 勉強・遊び・趣味・人との関わり、 
色んなことがその中での一部でしかないのです。 
偉いとか凄いとかは、人の評価であって、 
それにより自分自身を高めるステップになって実力になるのだと思います。 
 

昔、子供が見ていたアニメに「ドラゴンボール」と言うのがありました。 
主人公が悪と戦う時、地球の全ての色々なものから「気」をもらって倒すのです。 
私は子供に 
「自分がどんなにスゴーい人になっても皆の助けがないと何も出来ないんだよ。 
人間はいろんな人の力を借りて生きているのよ。 
それは目に見え て助けてくれる人もいるし、 
あなたが気がつかない間にあなたの為にを思って動いてくれている人も沢山いるのよ。 
そんな人にはありがとうございますが言えないでしょ。 
だから何かをするとき、したら損みたいなことを思うことはないのよ。 
あなたが人の為に出来る以上に人はあなたの為に動いてくれていることを忘れてはだめよ。」 
と言いました。 
 
私はピアノの生徒に対しても同じなのですが 
「何故しないの」「何故解らないの」「何故出来ないの」は極力言いません。 
「どうしたら出来るかを考えよう」  
「解らないから今解る為のお勉強をする」 
「出来ないから学ぶ」 
の姿勢を崩さない。怒らない。 
出来て当たり前の態度は、場合によっては本人のプライドをくすぐって自信につながるけれど、 
たいていは出来たことを素直に認め、褒める。 
 
大人の目から見れば普通でも生まれて10年もたたないような子が 
何事もやる気を出さないと出来ないと思います。 
それを正当に評価し、認めることで自発的にするようにもなるし 
理解することも早くなっていきます。 
 
私は生徒のお母様たちにお話しするのですが 
、やりなさいを言われなれると「しているフリ」だけする子に 
なってしまいかねない。 
感情・頭の中はのぞけない。 
1時間勉強するように言われれば、だらだら集中しないでしていても、 
お母様は「こんなに時間かかって まだ出来ないの!」と怒る言葉で締めくくってしまう。 
 
しようの気持ちですれば 30分で済んでしまうかもしれない。 
そんな時「凄い!がんばったね」と声がけする方と 
「ほんとに出来たの 間違いばっかりじゃない???」 
と声がけするお母様となら、私は例え間違いだらけで あったにしても、 
その場はがんばってしたことに対して褒めて残り30分を好きなように遊ばせて 
「でも残念ながら間違ってました。直しをしましょう。」で いいと思います。 
 
あくまで本人の為にしていることだから、間違いに対しては自分で責任を取る=直しをする。 
「したの?まだ出来ないの!」の声がけは誰のためのなのかが解らなくなる。 
これではさせてもらえていることに対しての感謝 
がなくなってしまいます。 
 
子育ては本当に 面白いと思います。 
自分のちょっとした弱点を知らず知らずに子供が真似ている。 
この子ならこうするだろうなが解ってしまう。 
だから、反対 にこれをさせたければどうすれば良いかも見えてくる。 
1つのことに対する時10方向あると考えれば、 
やらせると言うよりどうすれば苦なく取り組んで進んで するようになるかが見えてくる。 
外れれば、それは子供が親の見通しより 成長していると言うこと。 
 
幼稚園前に 親子の深い関係を作って 幼稚園・保育園が 子供の社会との関係の第1歩。 
小学校に入って、それぞれの個性・考え方の違い・自己表現の仕方を学んで行き、 
中学・高校で小さな社会(人間関係)・地域社会での自分の確立をしていく。 
大学は人間として社会へ巣立っていく準備だと考えています。 
 
一番下は19歳。まだ 私が社会に飛び立つヒナの羽を整えている役目をもう少し楽しめます。 
 
 
 

私の子育て1

私にご自分のお子さんの教育方法のアドバイスを 
求められる方の場合の大体が3人の息子達が私学の中学・高校の一環校に入り 
東北大・東大・京大にそれぞれが進んだことが根底にあるようです。 
そして言われることの多くが 
「先生のところは頭がいいから」 「元が違うんです」「私のところなんかは」 
とおっしゃてくださいます。 
私自身は素直な優しい子供に育っていることがうれしいことです。 
 
私は子育てに限らずピアノの生徒に接する時も 
自分自身の何かしようと考えている時も、 
今だけでなく1年後・3年後・5年後・10年後と場合によって異なりますが 
どうなっていたいのかを考えるようにしています。 
 
私個人として、ピアノを教えているというか、 
仕事を続けていたいと言うのがまずありました。 
仕事をすることが子育てにとってマイナスではいけない。 
プラスでなくては・・・ 
 
基礎的な行動・考え方・取り組み方を身に着けてもらわないとがあります。 
 
私が気をつけることとして 
1.物事に関して一貫性を持つ。 
2.怒るのでなく叱る。 
3.周りに対しての感謝の気持ち。 
4.自分に厳しい態度。 
5.子供を手助けするより極力見守る。 
6.結果より過程を重視して次につなげる。 
7.他人との比較をせず 本人の成長を中心に考える。 
8 大人時間で物事を動かすだけでなく、子供時間のゆっくりした流れも持つ。 
9.親を大切にする。 
 
 
1.物事に関して一貫性を持つ。 
 
何か事をするとき、今日だけとか・人が見ているからとか・ 
自分にゆとりがあるからいいは絶対にしてはいけないこと。 
子供の生きる能力の中でのお母さんの態度の見方が位置づけられてしまいます。 
今はしてもお母さんは怒らないになると教育にはならないで感情の 
追いかけっこになってしまいます。 
見かけるパターンとして、路上や電車内で人の迷惑顧みず騒いで 
いる子供を叱らないのも何を考えているのだろうと思いますが、 
回りが怒鳴られているがごとく子供に怒っている人もいます。 
そういうことは、躾が出来てから乗せるべきです。 
普段からそういった躾をしていないのに電車内だからと言って注意 
されても子供からしたら意味がわかりません。 
 
2.怒るのでなく叱る。 
 
何か子供に注意しなければならないことが出来た時、 
極力感情は抑えて話をする。 
がーがー怒ってしまうと、お母さんは怒っているから 
機嫌が悪いんだへと変わって行き自分が何をして叱られるに 
いたったかは解らなくなってしまうから・・ 
そして、又同じ繰り返しをすることになります。 
良いか悪いか危険だからしないは、目を見てきっちり話をするが大切です。 
今日は怒らないなんて思わせるのはもってのほかだと思います。 
 
3.周りに対しての感謝の気持ち。  
 
周りがしてくださったことに対して「ありがとうございます」 
がいえることは大事なことです。 
親に対してもありがとうが言える子供であってほしいと思います。 
子供は親を選べません。 
親は子供が社会に巣立てるようになるまで 
を育てる権利が与えられているのだと思います。 
義務ではありません。権利です。 
だから、「これをしてやらないと」とか「これを与えてやらなくては」 
ではないのです。 
だから、親だからするのが当たり前なのでなく、感謝する気持ちの 
持てる子に育ってほしいのです。 
 
私は、子供に今の生活は親の生活レベルであって、貴方達のでは 
ないから必要以上の贅沢はさせたくないと言います。 
ただ、社会勉強として金銭的なものは私が出して経験をさせる。 
TPOを学ぶ機会を持たせますが・・ 
子供達はこれから社会に出て自分達の生活を築いていかなければなりません。 
そんな時一生懸命働いて報酬をいただいて築くが大事だと思います。 
親の力で出来ることで補いすぎているとしてもらえることが 
当たり前になって働く意欲にも影響するのではと考えます 
 
 
4.自分に厳しい態度。  
 
子供の生活態度は親の観察から始まっていると思います。 
何か行動する時GOかSTOPかの判断に親がよぎると考えます。 
何から何まで全てに気を配っていては親のほうも気の休まる時がありません。 
これはと言うのを決めて自分自身に対して譲らない態度が必要だと思います。 
そうでないと 
「お母さんは子供にいっぱい色んなことを言うけれど楽をしている」 
と思っている子供もいます。 
そんな中から、親に対しての尊敬の念は生まれないのではないでしょうか。 
表面的に友達感覚の親子もいいですが 
子供に内面で一目おかれていたいと思います。 
 
 
5.子供を手助けするより極力見守る。 
 
私のところは音楽の楽典的なことから始めてもらうのですが、 
どうしてもお母様の中には間違いの答えに対して、 
即答で「違うでしょ。考えて」をおっしゃる方たちがいます。 
その時には、すでに消しゴムで子供の解答は消されています。 
手直しをしないで、そのまま持ってこさせてください。と言うのですが、 
間違いと解っているのにだめなのでしょうか?と分かって頂けません。。 
自分でして私に見せに来て、間違いを自分で直せる生徒は 
3冊目くらいになると自発的に出来ていきます。 
お母様が手をかけてくださると3冊目くらいからだんだん面倒になるようで、 
やれば出来るよの気持ちを植えつけることをしていかないとならなくなり、 
お母様たちもだんだんややこしくなり、口が出せなくなり、 
暫く子供にとってこの環境に慣れてもらわなくてはになります。 
 
やさしい問題の時点で自分でして自分で消して・考えて・調べて 
の基本動作を身に着けてもらうのです。 
私は、どれだけの知識を何歳で知っているかは重要なのでなく 
どういう風に物事に対処できこなすことが出来るようになるかが大事だと考えます。 
 
何時までも親が横でこれをして終わったらあれをしてでは 
言われなければ動かなくて良いにもなるでしょうし、 
どっち道言われるからそれまではしないにもなります。 
 
 
6.結果より過程を重視して次につなげる。 
 
私の場合、極端なのですが子供の成績表を見るのは次の学期始業式前日。 
親の判が要りましたから・・ 
小学校の間は大いに遊んで多くの友達を作ってほしい。 
小学校の間は人間生活が順当にできていくように 
その最初の第一歩だと思います。 
「小学校は先生があなたの知らないことをいっぱい 
教えてくれはるからよく聞いて私にも教えてね」 
「テストは間違って覚えていないかを確かめてはるのやから 
間違ったとこはちゃんと直して覚えなおしておきね」 
でテストで何点かも気にしない態度をとりました。 
全部出来ていたら「すごい!」とほめることはしましたが・・ 
受験をしないのなら塾へ通わせるつもりはなかったのですが 
私の住んでいるところは教育に関心の高いご家庭が多く長男も 
友達が塾へ通っているから一緒に行きたいで、 
5年生で週2回くらいの近くの塾へ通い、 
5年の終わり頃に受験がしたいと言いましたので、大手の進学塾に変わりました。 
自分との知識の差に驚いたようです。 
そして、その時4年だった次男に 
「今から塾に通わせてと言ったほうがいい」とアドバイスした様です。 
夏に許可して入塾テストに通ったらね。 
で、結果通い始めました。 
3男も兄達のアドバイスで塾へ行く時期を決めたようです。 
 
私は子供達に95点を10回取って間違いを見直さなければ、 
どんなに悪い点をとっても見直して理解していっている人の方が 
11回目にはすごくなっているかもしれない。と言います。 
 
勉強科目で好き嫌いがあるのは嫌いな科目は、 
その面白さに出会っていないだけだとも言います。 
この知識が必要か?必要でないか?は自分で決めれることではない。 
色々な知識が物を考える時大きな力になってくれることがある。 
自分から拒否して知らないのは生きていくうえで大きな損をすることだと。 
 
 
7.他人との比較をせず 本人の成長を中心に考える。 
 
小学校に通っている時点で 成績表に重点を置かなかったのは 
40人弱の生徒のそれぞれの科目に対して、どこまで担任の先生が 
見られるのだろうかと言う考えがあったからです。 
子供の内容は親である私が一番理解している理解していなければと思いました。 
小学校へ入る頃 我が子は3人とも20まで数えれて、 
ひらがなは読めて、名前は書けて、カタカナは?位でした。 
当然100以上数えれる・漢字が書ける・英語を習っている等 
色々なお子さんがおられます。「すごいね。がんばってはるね。」は言います。 
 
それだけです。 
 
我が子は 先ほども言いましたが 
知識よりまず社会生活に順応してほしいがありましたから、 
遊ぶのに忙しくて・・状態です。ピアノは私が教えていました。 
小学2年でそろばんには通いました。 
ピアノもそろばんも脳そのものを刺激します。 
子供がするしないにかかわりなく脳の中が成長していくと考えます。 
 
ピアノのレッスンでも直接でなく間接的に上達させていく方法をよくとります。 
子ども自身大変ではないのにレベルがアップして賢くなります。 
親はどんな勉強をさせる・どんな問題集を与えるを考える 
と同じにどうすれば子供が出来やすくなるかを考える。 
この方がよほど効率的に伸びると考えます。 
 
 
8.大人時間で物事を動かすだけでなく子供時間のゆっくりした流れも持つ。 
 
早くして! さっさとして!を連発される方がおられます。 
大人の段取りで次から次へと事を進めていくのって 
そんなに大切なことなのでしょうか。 
 
ピアノに向かって、弾いていれば 安心されている方がいます。 
どんな曲かなって考える・想像する。 
それは子供本人にしか出来ないこと。 
お稽古事に時間を追われて、1日が終わった時に子供に今日させないと 
いけないことは済ませたとドリルを何ページさせたとかが 
そんなにたいしたことではないと考えます。 
 
子供が自分で納得してしなきゃいけない・しようと思っていることを 
出来るようになっていってもらうことが大事。 
せっつかれて動いていては自分で考えて行動することを忘れるか・ 
表面済ませてしまった日程表に満足するかの子供になるのではないでしょうか?? 
 
私は子供に小さいうちから知識だけを植え込んでいくことはしたくなかった。 
同じ部屋で今から1時間私は本を読みたいから。とか 
この調べ物をしたい。とか言って、 
あなたたちは何をして過ごす?で 
漫画を読もうが、ゲームをしようが、ブロックを組み立てようが任せます。 
 
日を重ねるごとに子供達も慣れてきます。 
これは集中力を養うのに役立ちます。 
どんなことであれまず本人の好きなことから時間を 
忘れ取り組める実績を作ります。 
どんなにくだらないことと思っても見ている事は大事です。 
 
親はあせってはいけません。
 
 

幼児教育

小さいうちに何を身につけさせるかをまず考えるのが大切だと思います。 
基本的にどう育ってほしいか?があって、どういう方針なのか? 
があって親としての進め方をまず考える。 
ただし、子供は父親・母親のイコールではないわけですし、 
本人の能力・興味のあり方・物事をなす時の処理能力等も 
考えていかなければならないと思います。 
 
小さいうちに何かをさせるのは色々と大変です。 
特に覚えさせるという事に関してなどは本人の能力もあると思いますが、 
親の根気が大きいと思います。 
怒ることなく、どの程度の時間が我が子の集中可能な時間なのかを理解し、 
それをどのように活用できるかだと思います。 
この繰り返しが子供の記憶力・集中力を養う上での大切なことだと思います。 
この集中可能な時間や能力を見誤ってしまうと 
親にとっても子にとっても不幸なことになります。 
頑張って育てているのに自信が無い、 
集中力も育たない子供になってしまいます。 
 
そして、子供に何かをさせる為には、しっかりした親側の構成力と 
子供の状態を客観的に見れる眼が大切です。 
そうでないと子供本来の持っている能力や子供自身の想像力を 
養われなくなってしまうからです。 
私は子供もボーッとさせる時間も必要だと思います。 
 
小学生の間の勉強は数をこなせば出来る事や時間をかけて 
覚えれば出来る事が多いですが、 
大きくなるにつれひらめきが最終的にものを 
言うことも増えてくると思います。
その場その場のやっつけ教育ではなく、 
そこまでの事を考えて壮大な子育て計画を練ってはどうでしょうか。